自然と人間

 世界はこれまでも今も、経済優先の考えで動いている。自然保護の思想や活動は、世界の大きな潮流の中では軽視されている。コロナ騒ぎが起きる前、海外では10代、20代の若者を中心に、地球温暖化阻止を訴えるデモが広がっていた。スウェーデンの女子高生が先頭に立って、地球の危機を訴え、トランプ大統領は、学校に戻って経済を勉強しろと言い放った。ビジネスに奔走する多くの大人達が、自然保護でメシは食えないと言わんばかりに、少女をあざ笑った。

 若者たちは必死なのだ。自分達が大人になったとき、地球がどんな状態になっているか。現在の異常な自然現象が今後も続き、さらに深刻化することを考えると、自分の将来に大きな不安を覚えてしまうのだ。若者たちにとって、自然保護は思想や観念ではなく、自然の暴走が自分の生活のうえにのしかかるという、リアルな現実なのだ。

 このリアルな恐怖感は、人生の半ばか大半をすでに過ごしてきた大人達にはわからないだろう。

 人類がこの地球に誕生してから今まで、人間はずっと自然を軽視してきたのだと思う。山が崩れたり、津波が来たりと、大災害が起きたとき、古代人は自然の中に神を見出し、畏怖し、祀ったりしたが、喉元過ぎれば、やりたい放題を繰り返してきた。

 現代人は海山をゴミだらけにし、大気を汚し、オゾン層に穴をあけ、宇宙開発で、地球の周囲の宇宙空間にさまざまな機材の破片をばらまいている。

 なぜこんな節操のない行為を続けられるかと言えば、人類は自然というものを、根本の部分から理解していないからだと思う。自然はあまりにも大きく、人間はその小さな一部分に過ぎない。アリが目の前にそびえ立つ人体を理解できないように、自然は人間の脳が把握するには巨大すぎるのかもしれない。けれども、数千年にわたる経験と知識の集積の結果、人間は自然のメカニズムについて、ずいぶん理解を深めたと思う。

 今、世界のあちこちで、前代未聞の異常な自然現象が起きている。北極圏シベリアの町、ベルホヤンスクで、6月の気温が38度に達した。人々は水着で海水浴をしている。中国では6月に入ってから大雨が続き、気象台は28日連続で豪雨の警告を出している。湖北省では大洪水が起き、四川省では大規模な山崩れが発生した。車も家も流され、橋は崩落し、被災者は1300万人に上っている。ダムが決壊する恐れもあるという。

 近年、頻発している大災害と、コロナ・パンデミックは、無縁のものではなく、同じ根から発生した現象と考えたほうがいいと思う。

 新型インフルエンザやSARS、MARS、コロナと、ここ10年ちょっとの間に、いろいろなウイルスが発生している。ウイルスの発生は、森林伐採や土地開発など、人間の経済活動が、これまで手つかずの自然が保たれていた野生の部分に、どんどん食い入っていったために起こったものだという。

 細菌やウイルスは、もともと自然界に存在している。人間が天然資源の採掘や農地開拓などのために、森を切り開いた結果、そこに生息していた野生動物が住処を追われ、人間の生活圏に出没するようになった。それらの動物達に寄生していたウイルスが家畜にうつり、人間が感染した。それまで別々に保たれていた野生の世界と人間の生活の境界があいまいになったことが、ウイルス感染がたびたび起きる原因だという。

 より良い暮らしと科学技術の進歩。文明の発展のために、人間は自然を破壊し続けた。自然について無知だったために、平気で壊すことができた。

 今、世界はウイルスと異常気象に苦しんでいる。自然のシステムを壊すとどういうことが起きるのかを、目の当たりにしている。環境破壊は、経済活動に奔走する大人達にはピンとこなかったかもしれないが、コロナによる経済の失速は、大人達の心をへし折るのに十分だ。

 世界中の人々、一人ひとりが、価値ある人生を送るために、私達は自然についてもっと学ばなければならない。自然のシステムにのっとって経済活動を続ける方法を、見つけなければならない。 

 

2020年06月29日