花粉

 大月の山の中で、杉の花粉がもうもうと舞うのを、間近で見たことがある。渓流の傍の小ぶりな旅館の中庭だったと思う。テレビにたまに映る映像にそっくり。杉の葉の間から、山吹色に近い黄色の粉が、大量に、空中に散っていった。あとからあとから湧き出るように粉が振り撒かれた。

 そのころは花粉症にかかっていなかったので、たいへん面白く見物したのでした。

 たしか5月の、素晴らしい天気の日だった。暇を持て余していた私は、花粉を見物したあと、川沿いの道を一人で散歩した。透きとおるような美しい緑に囲まれて、私は幸せだった。どんどん歩いて、人家からだいぶ離れたところで、突然、大月の山には熊がいることを思い出した。

 この山に住む知り合いは、犬の散歩をしているとき、道路脇の森の中に熊がいるのに気が付き、愛犬は秋田犬だが、それを抱き抱えて、恐怖に背中を押されながら家を目指したそうだ。集落のはずれに飲み屋があり、その店はトイレが店の外にあり、用を足しに行ったら、トイレの前に熊がいて、オシッコどころでなく戻ってきた、という話もある。

 幸い、私は熊に出会わなかった。うっとりするような散歩を切り上げ、緊張して、花粉の舞う旅館に引き返したのだ。

2019年03月09日