コラム一覧

目覚めるまで

 昨夜の豪雨が嘘のように、今朝は雲間から青空が覗いた。寝ぼけ眼で野良のマダちゃんにごはんをあげ、ふと目を上げたら、子供のカマキリがどういうわけか、家の外壁を一歩々々ゆっくりと登っていくのが目にとまった。

 白い壁に、カマキリの透き通るようなグリーンが映える。やっと幼児期を抜けたという感じの成長過程で、大人のカマキリのような汚れが体のどこにもなく、清潔感にあふれている。

 一歩登ると、体を少し揺らしてバランスをとり、それから前脚を用心深く伸ばす。右前脚を出したあと、後ろ左脚で体を押し上げ、今度は左前脚を出して体を支えながら、右後ろ脚を動かす。実に慎重なクライミングを、自分も相当なヒマ人だと呆れながら、じいっと観察していたのだ。

 早朝のひととき、庭の一角に懸命なドラマがあった。

2019年07月17日

アナベル

 アジサイがすっかり緑になった。白から徐々に緑がかってくる。よく見ると、花は終わりかけの様相を呈している。

 青や赤紫の日本アジサイは、花というか、ガクなんだけど、茶色に枯れ始めている。アメリカアジサイは持ちがいいのだろうか。

 もらってきた青いアジサイの枝を挿し木にしたが、芽が出てこない。失敗したかもしれない。それとも太陽が照らないこの天気で、生育が悪いのか。7月の東京の日照時間は、5時間だそうだ。こんな経験は今までない。

 

 

 

2019年07月15日

豪雨

 熊本で川が氾濫した。道路が冠水し、車が壊れた。災害は常態化したのだ。

 風邪の患者が増えているという。この気象に体がついていけない。昨日は頭が重く、体全体がだるく、物事に集中できずにゴロゴロ過ごした。健康診断の結果は良好なので、病気ではないのだ。

 今月に入ってから、晴天は一日もないんじゃないかと思う。毎日毎日、見上げる先に分厚い雲が広がっている。うつ状態になりそうだ。

 新約聖書の最後のほうに、いずれ人類社会が危機に瀕することが、書かれている。身近な人間が一人、また一人といなくなっていくといったような、かなり生々しい記述がある。ここ数年頻発している災害に、聖書の記述が重なってしまう。

2019年07月14日

 雨が嫌いではない。雨の風情というのもいいものだ。日照りが続いて干からびるよりは、長雨のほうがましかもしれない。

 と思っていたら、野菜や米の生育がひどい状態になっていることを、ニュースで報じていた。ほぼ全滅のトマト畑が映っていた。農家の人の心中を思うと、こちらの胸も痛んでくる。

 消費者の財布も痛む。何倍も値上がりしている野菜もある。

 夏になると毎日のようにスイカを食べる我が家だが、今年は甘みが期待できそうもない。スイカはやめて、外国産のオレンジにしよう。アメリカ産やオーストラリア産のオレンジは、甘くて値段も安い。「ポールさんのオレンジ」といった具合に、生産者の名前が売り場にちゃんと表示されている。海の向こうの農家のオジサンを勝手に思い浮かべつつ、甘い汁がたっぷりの果肉にかぶりつく。

2019年07月12日

ハーブフェスティバル

 6年前まで、今頃は河口湖のハーブフェスティバルに出展していた。今年は、太陽がまったく出ないこんな天気が続いているから、フェスティバルは盛り上がらないだろう。客足も伸びないかもしれない。

 河口湖畔は、涼しいのを通り越して、寒い日もあるから、今年のハーブフェスティバルの店番はかなり辛いだろうと思う。東京でこの気温だから、さほど大げさでなく、薄手のダウンが必要かもしれない。

 ラベンダーが咲き誇り、目を上げると巨大な富士山がでんと聳えている。天気の良い日は、気持ちのいい場所だ。

 

 

2019年07月11日

昼寝

 昼ごはんを食べてしばらくすると、モーレツに眠くなる。パソコンに向かっていても、脳はあらぬ方向へフラフラさまよい歩き、うっすらと夢を見ている。頭をスッキリさせようと、短い仮眠を取るつもりが、1時間以上も眠ってしまう。こんなリズムが、ずっと続いている。

 スペインにはシエスタの習慣がある。仕事場から家に戻って、たっぷり昼ごはんを食べ、お昼寝をする。理にかなった習慣に思える。体のリズムに従っているのだと思う。太りそうだけど。

 庭は緑に覆われ、目に良さそうだ。と思っていたら、植物の緑は目にいいというのは、迷信だとテレビで言っていた。寝しなのコーヒーは眠れなくなるというのも迷信だそうだ。夜中の0時から2時の間の睡眠が、体に最も良いというのも、間違っていて、深い睡眠であれば何時に寝てもいいらしい。

 

 

2019年07月10日

寒い空

 七夕の夜は、とても寒かった。下北沢の居酒屋で、人生の荒波を乗り越えてきた女同士の飲み会。さすが皆さん、知識も経験も豊富で、豊かな会話を楽しめました。

 今週も晴れの日がない。蒸し暑いよりいいという声もあるけれど、気分は下がる。

 物置の棚や花壇の隅っこに押しやられていた百均グッズを使って、トレリスを拵えた。セリエで買った物たちだ。我ながら、いい出来栄えだと思っている。家族にも褒められた。

 サンパラソルという名のこの草花、寒いせいか、いっこうに伸びない。赤い花がいくつも咲くはずなのだ。うまくやれば、室内で冬を越すこともでき、挿し木で増やすこともできる。期待、大。

 

 

2019年07月09日

晴れ間が欲しい

 たぶんもう10日間くらい、青空を見ていない。灰色の空の下で暮らすのは、気が滅入る。雨に打たれて、花も傷んでいる。

 イタリアの村の話を、BS4チャンネルで、毎週放映している。今日は地中海の島にある村の話だ。空気が透明なのだろうか、木々や畑の野菜の色、土の色、あらゆるものの色彩が鮮やかだ。空は抜けるような濃い青で、お天道さまにお目にかかっていない私達には、もう憧れ以外の何ものでもない。

 イタリアの村では、お昼ご飯を家族で食べる家庭が多い。勤めている人達も、昼ごはんを食べに家に戻ってくる。こういう習慣が、家族のつながりを強めるのだ。毎回、羨ましいと思う。いっぽう日本では、お一人様用の席を増やす店が多くなっている。

 日本人は、何十年か前から、生き方を間違えてきたのではないかと、最近思う。家族を煩わしいと思い、しがらみから逃れるために、核家族という形を取るようになった。個人の自由を得たが、孤独という代償を抱え込んだ。人とのつながりがないところに、本当に幸福は存在するのだろうか。

2019年07月07日

温暖化

 温暖化がなかったら、現在の異常な量の降雨は起こらないと、気象庁の研究機関がデータ分析をした結果、発表した。ようやく温暖化と異常気象の因果関係を認めたのだ。

 後戻りできないくらい事態が深刻にならないと、人間という生き物は真剣にならないのだ。

 くだんの研究機関はさらに、今温暖化を食い止めることができても、豪雨災害はなくならないと言っていた。気温や海水温を下げるのに、途方もない年月がかかるのだろう。

2019年07月06日

芝生

 伸び放題の芝を、ようやく刈った。木の根元まで芝が生えていて、庭全体が緑の海のようだった。緑の波に埋もれている木の根方を見て、これでは植木の風通しが悪く、蒸れてしまうと気がついて、朝の2時間近くを費やした。

 電動草刈り機が壊れたので、木の枝などを切る大きなハサミで、コツコツと攻めた。

 植物の世話は大変だ。水やり、剪定、肥料と土の工夫。こまめに見回らなければならないし、体力が要る。これからの季節は、蚊と闘いも続く。それでも新たに見つけたこの趣味は、私にとって最大の癒やしだ。花が開いたり、新しい葉が出てきたり、驚くほど太い茎が、いつのまにか伸びていたり。植物の小さな変化が、常に新鮮な風を、心に送り込んでくれる。自然の営みは同じことの繰り返しだけれど、繰り返しのひとつひとつに、小さな驚きがひそんでいる。

 

 

 

 

2019年07月05日

災害列島

 今や本当に、日本という場所は、生活するのに危ないところになった。地震と豪雨が交互に襲ってくる。といって外国に住む手だてもないから、この町のこの家にしがみついているほかない。

 怖がっているわりには、災害が起きたときの備えをほとんどしていない。飲み水を買ったくらいだ。5年間保つという水で、あと2年は大丈夫だ。ヘルメットが要るか、食器戸棚の扉のストッパーが必要かと、話はするが実行はしていない。

 重たい梅雨空の下、住宅街のあちこちに、紫陽花が華麗に咲いている。自然は湿度が高く、過ごしにくいこの季節にも、ご褒美のように美しい花を用意してくれている。

 

 

2019年07月04日

ミニバラ

 弱りかけていたミニバラを、地植えにした。ノラネコのトイレ用に土を残し、周囲をレンガで囲った。ミニ花壇のようでもあるので、そこに移した。猫のふん尿といっしょじゃ、バラがかわいそうかなと思ったけれど、バラは元気を取り戻し、次々に花を咲かせている。

 ミニバラは育てるのが難しい。アブラムシにやられたり、うどんこ病になったり、葉が黒ずむ病気にもなった。トラブルが起きるのは、5月だ。5月を越えると、病気の葉は落ちて、新しい葉が伸びる。赤とピンクと黄の苗を寄せ植えにしたら、2年目に入った時点で、黄色の株は姿を消し、ピンクの株はとても小さくなり、赤いバラがほぼ全体を占めるようになった。今は、赤いのしか生き残っていない。

 

 

 

2019年07月02日

アジサイの季節

 昨日、あれこれ奮闘して、白いアジサイをこんな感じに植えました。この鉢に植えてあったミニバラを、庭の隅の花壇に移し、そのための穴掘りに時間を費やして……。相当疲れているところに、不愉快な電話がかかってきて、なんかね、散々な一日だったけど。梅雨空の下、アジサイの白が輝いて見え、少し幸せな気分になりました。

 

 

2019年06月26日

健康診断

 結果を聞くのがなんとなく嫌だった。やはり泌尿器系が多少引っかかった。来月、再検査だ。一昨年の検査結果をうちに帰って見たら、やや似たような症状だった。一昨年はやや不安定だけれども経過観察、去年は問題なし、今年は再検査という流れだ。体というのは、一定ではないのだなあと、ここ3年の検査結果を見ながら思った。当たり前のことだけど。

 コレステロール値はだいぶ下がった。牛乳を飲まなくなったからだろうか。

 こんなふうにチマチマと体を調べるのは、もちろんとても大切なことなのだろうけれど、なんだかなあ~という気持ちもいっぽうにある。昔の人はこんなに神経質に肉体を調べることはなかっただろう。それでも健康に生き、なるときは病気になり、寿命を迎えた。なんだかなあ~。100歳まで生きたくないしなあ。

2019年06月25日

この季節

 蒸し暑いので、頭が冴えない。なんとなく靄がかかっているような脳細胞を使って生きている。認知性ではない。朝、何を食べたか、ちゃんと覚えている。

 今年は梅雨らしい梅雨で、シトシトといつまでも降っている。長雨は、気持ちを灰色にするけれど、ゲリラ豪雨よりはいい。

 明日は、注文したアジサイが届く。アナベルという名の、白いアジサイで、花びらが薄い緑色に変化する。花びらと書いてしまったけれど、本当はガクだ。花は真ん中の小さなツブツブです。

2019年06月22日

下北沢

 長い長い間、駅の工事をしている。白い幕が張られているので、どこをどう通っているのか、まるでわからなかった。しょっちゅう利用するわけではないので、行くたんびに迷う。

 ようやく出来上がりかけたと思ったら、それまで井の頭線から出られた改札が、小田急線のみの改札になり、井の頭線の改札は別に出来て、そのために南口商店街への行き方がわからなくなった。やっと見つけた通路はあまり人が通っていず、エスカレーターを上がって、階段を登って、えらい遠回りをする。井の頭線の利用者が冷遇されているような気がする。

 先々月は、飲み会の店へ行くのに、迷いに迷って、半泣きしながら友達に電話した。

 渋谷の地下で目指すところに行けず、涙目になった、苦い経験がある。下北沢、お前もか!! と心の中でつぶやいている。

2019年06月21日

地震保険

 地震保険が値上がりする。半壊だと降りる金額がとても少なくなる。一部が壊れたくらいでは、ろくにお金が出ない。そんな具合なので、保険をやめようかという思いも湧いたが、おとといの夜の新潟の地震で、思い直した。

 震度6などという地震は、昔はほとんどなかった。東北大震災のあと、日本の地盤は変わった。

 地震の不安に重なるように、長生きした場合のお金の不安がのしかかる。日本人の暮らしは、本当に不安だらけだ。

 1950年当時、男性の平均寿命は、なんと55歳だったそうだ。政府の見通しの中で、最大の誤算は、寿命が飛躍的に伸びたことだという。

 人生5、60年が常識だったころ、長寿は幸せなことだった。今は、長生きはけっして幸せなことではない。体が動かなくなり、やりたいことがやれず、横たわったきりで日々を暮らし、しかもお金がどんどん減っていく。これは地獄に近い。

2019年06月20日

早朝

 一日のうちで、朝がいちばん好きだ。ベッドに座って、庭を眺める。半分寝ぼけている頭が、しだいにはっきりしてくる。犬を連れた早起きの人が通っていく。電線にヒヨドリがとまったり、せわしなく飛び交ったりしている。

 土の乾き具合を見ながら、鉢植えの植物に水をやる。一時、葉が全部落ちてしまったミニバラは、たくさんの葉を元気に伸ばし、蕾も顔を出した。見た目が良いので、庭の隅の雑草にも水をやる。

 ウグイスが鳴く日もある。コロコロと透き通った声をころがして、美しい笛の音のよう。ウグイスは宅地造成のために切り払われた林から、近所の公園に引っ越してきたのだ。三菱地所のおかけで、我が家は楽しい朝を迎えている。

 

 

 

2019年06月18日

水耕栽培

 子供のころ、クロッカスの水栽培をよくやっていた。妹が友達からもらってきた、おしゃれなガラスの水栽培の鉢をみて、クロッカスのことを思い出した。水の中に、球根から無数の根が伸びていくのが、面白かった。

 かわいいカップに植えられたアイビーももらってきた。これも水栽培で、植物の根が動かないように、小さな人工の石のようなものが詰まっている。土を使わないので、花瓶のようにテーブルの上に置いておける。水耕栽培、手が汚れないからいい。

 

 

 

2019年06月17日

夏の花

 日々草が流行っているのか、花屋の店先にも、家々の玄関先にも、白やピンクの可愛い花を咲かせている。うちの玄関前はこんな感じ。

 庭はあらかた整ったので、これからは玄関周りを工夫しようと思う。紫陽花を検索していたら、アメリカアジサイというのが出てきた。白いアジサイで、薄緑色に色が変わるという。植え付けは秋がいいらしいけれど、今購入してはだめなのかなあ。

 近所の人にもらった日本アジサイの枝を、挿し木にした。そろそろ2週間だ。根が生えたかな。

 

 

 

2019年06月16日

漆塗りの神輿

 金沢の街なかに、加賀藩の藩祖、前田利家と正室、お松の方を祀った神社がある。一風変わった門を持つ、尾山神社だ。この神門は明治時代に建てられたものなのだろうか。西洋風と中国風がミックスされたような建築で、最上階になんと、ステンドグラスがはまっている。エキゾチックな美しい門だ。

 本殿は黒い瓦屋根の立派な造りで、お参りをして傍らを見ると、輪島塗りの美しい神輿が鎮座していた。黒光りする神輿は、これまで見たどの神輿よりも、気品と清潔感があった。

 

 

 

2019年06月15日

ネコが……

 ネコを50匹殺した男のニュースを、夕方のテレビでやっていた。ストレス解消のためだそうだ。一人暮らしで誰からも相手にされないと言っていた。

 そういう人が増えているのは、なぜだろう。社会が優しさを失っているからか。

 

 

 

2019年06月13日

飴細工

 金沢の武家屋敷が残る町で、圧倒的なスケールの飴細工を見た。

 昔の薬屋の建物をそのまま記念館にし、一階には時代劇に出てくるような薬屋の店構えを展示し、二階には当時のさまざまな職業について、パネルや実際に使われていた道具類を並べて、わかりやすく解説する部屋がある。二階の一角にこの地方独特の婚礼を紹介するコーナーがあり、、水引で作った見事な結納の品や、花のれんと呼ばれる華やかな絵柄の大きな暖簾が飾られている。豪華な婚礼の道具類に目をみはり、ふと振り返ったら、縦2メートル、横3メートルはあろうかという、大きな造花が目に入った。桜か桃か、見事な枝振りに無数の花が咲いている。傍らの英語の説明文を見て、candyの文字に驚き、日本語の説明文に目を移すと、飴細工と書いてあった。

 友達としげしげ見入ってしまった。がっちりした枝も、華奢な花びらや柔らかそうな葉も、飴で作られているとはとても思えない。一見の価値のある作品だった。

2019年06月12日

ニュース

 嫌なニュースが多いから、世の中に目を向けたくなくなった。ひどい虐待をされている幼児がいて、近所の人が通報しているのに、児童相談所は動かなかった。児童相談所が行動を起こすレベルではなかったと、所長が会見で話していた。私は悪くありませんという表情を、頑なに顔に貼り付けていた。子供は亡くなったのに、どうして後悔の表情を浮かべることができないのか。責を負う勇気もないのだ。

 高齢者ドライバーの事故が立て続けに起こるのも、なんとなく不思議だ。連鎖反応のようなものがあるのだろうか。真面目に生きてきた人が、他人の家族を奪い、自分の妻を轢き殺し、数秒のパニックのせいで自ら命を落とす。本当に悲惨だ。

 でも、よく考えれば、この事態はとっくの昔に予想できたことだったのだ。歳をとれば判断能力も反射神経も衰える。いつかは運転できなくなる。当たり前のことだ。当たり前の結末に目をつぶって、つまり嫌なことは考えないようにして、暮らしを組み立ててきた結果なのだ。

2019年06月11日

買い物

 我が町は小さなスーパーが一軒しかないので、買い物難民になった気分でいる。大手スーパーのライフが撤退したので、みんな嘆いている。百均の店舗が入っていたビルが取り壊しになったので、それも不便さを増している。文房具店がないので、ボールペン一本買うにしても、徒歩15分のところにあるショッピングモールに行くしかない。まあコンビニはあるけれど。

 レジ袋が有料になる。今はタダのレジ袋をせっせとためておいて、しばらくそれで凌ぐか。レジ袋を有料にしても、プラスティックゴミは減らないと思う。めんどくさいからお金払っちゃう。レジ袋を攻めるより、お菓子の包装を見直すことを、企業に圧力をかけて実現させたほうが、ゴミ対策になると思う。お煎餅やクッキーひとつひとつをラッピングする国が、ほかにあるか!

2019年06月09日

日々平安

 そんな感じのこの頃だ。ウグイスの声を聞きながら、朝、草花や芝生に水をやる。いっとき行方不明になっていた、野良のマダちゃんが戻ってきて、旺盛な食欲を見せている。マダちゃんのごはんの残りを狙って、若い黒猫がやってくる。

 庭木はぐんぐん成長し、ジューンベリーは去年の倍以上の実をつけた。早朝、ヒヨドリが実を食べにやってくる。鳥たちは、食べごろになる前に、実をついばんでしまう。もう少し待ったほうがおいしいのに。それとも鳥は甘みを感じないのだろうか。

 つるバラは太い枝を伸ばし、次々に蕾をつけている。クリーム色と濃いピンクの色合いが珍しく、近所の人からきれいだと褒められて、すっかり気を良くした。ミニバラはてんとう虫に葉っぱを食べられてから、まるで勢いがなく、たくさん蕾をつけたまま、開花せずに終わった。新しい葉が出始めたけれど、生育は良くない。3年めのミニバラだ。

 長いこと頑張っていたシクラメンがついに時期を終え、代わりに日々草を植えた。白い花が夏らしく、涼しげだ。

 5月が夏のような暑さだったので、もう夏が始まったような気でいる。夏は植物や鳥や虫が身近になる。窓を大きく開け、風を感じると、ふわっと幸福感が体の芯から湧いてくる。

2019年06月08日

金沢の旅

 正直言って、大きな期待を抱かずに行った。温泉に入ってのんびりできればいいという程度の気持ちで、予備知識もあまりなかった。それがかえって良かったのかもしれない。金沢は古都という呼称にふさわしく、しっとりした味わい深い街だったし、美味しいものがたくさんある場所だった。能登半島にも行ったので、金沢は駆け足で回った感じだ。また行きたい。今度はもっとじっくりと、時間をかけて歩き回りたい。

 能登半島にも、もう一度行きたい。祭りを見に行くとか、七尾市で芸術祭をやっているので、それを見に行くとか、無名塾の劇場に足を運ぶとか。明確な目的を持って、能登を旅したい。

2019年06月06日

鏑木商舗

 長町武家屋敷跡を散策していたら、古風な門構えのお店を見つけた。ティールームの看板が出ているので、休憩に入ったら、そこは江戸時代から続く瀬戸物屋さんだった。むろん扱っているのは、すべて九谷焼だ。千円、二千円の食器から、数十万する香炉まで、実にさまざまな九谷焼が、古い木造の建物の中に、ところ狭しと並んでいる。

 玄関で靴を脱いで上がる。六畳間、八畳間といった広さの部屋の襖をすべて取り払い、商品を並べている。昔の家の造りを、敢えてそのまま残していると思えた。

 目を引いたのは、ワイングラスの台の部分が九谷焼になっている、美しいグラス類だ。これは以前、テレビ番組が取り上げたことがあり、偶然それを見ていたので、思いがけず実物に出会えたのは嬉しかった。そしてなんと、共に旅をしている友人が、そのグラスをプレゼントしてくれたのだ。

 家に帰って飾ったら、もうひとつ欲しくなった。ネット販売もしているのだ。高価な物だから、せっせと働いてお金がたまったら買おう。

 

 

2019年06月05日

石川県立美術館

 兼六園の近くにある。一階におしゃれなティールームがあり、休憩を兼ねて立ち寄った。

 二階が展示室になっている。

 入り口近くの小部屋に、野々村仁清の雉の香炉が二点、飾ってある。一つは国宝、もう一つは重要文化財。そういう予備知識がなくても、ひと目見ただけで、心を奪われる作品だ。美というものは、際限もなく奥が深いものだということを、つくづく感じる。この二点を見るだけでも、ここに来る価値がある。

 陶芸のコレクションも素晴らしく、ずらりと並んだ古九谷の大皿は圧巻だ。皿の全面にベッタリと絵を描く古九谷は、それまであまり好きではなかったのだが、このコレクションを見て、考えが変わった。大皿に描かれた絵柄の躍動感、力強さは、半端なものではない。強烈な輝きと気迫が、作品の底のほうから発散されていて、そのエネルギーにいつまでも触れていたくなる。

 抹茶茶碗のコレクションも名品揃いだ。奥のほうに展示されていた黒の楽茶碗が、目が離せなくなるほど魅力的だった。

2019年06月04日

軍艦島

 世界遺産の軍艦島ではなく、能登半島の東側に位置する見附島のことです。形が軍艦に似ているところから、この名前でも呼ばれています。

 実際に見ると、海の上に唐突に現れたという感じで、きれいですが、不思議な気分になります。小さな島ですが、高さは相当にあり、サイトで見たら30メートルとのことでした。日本海のしっとりした青と、そそりたつ島の白い崖のコントラストが美しく、なんとも魅力的な風景です。もう一度訪れたい場所のひとつです。

 空海の幻想的な伝説があります。

 

 

 

 

2019年06月03日

珠洲焼

 今回の旅は、多くの焼物に触れた。金沢では思いきり九谷焼を味わい、能登半島では、今まで知らなかった珠洲焼に出会った。

 珠洲焼は平安から鎌倉時代にかけて隆盛を極めたが、その後、忽然と姿を消した。なぜ消えてしまったのかはわからない。1970年代になって、珠洲市が復興に努め、今ではモダンなデザインの花瓶や食器がたくさん作られている。

 独特の黒い土が特徴で、うわぐすりをかけない焼き締めが、黒い土の美しさを余すところなく現している。梅や桜の枝などを無造作に活けたら、素敵だろう。花の色をより美しく際立たせるような土の色だ。

2019年05月29日

塩田

 能登半島の珠洲市には、昔ながらのやり方で塩を作っているところが、いくつかある。塩水を煮る小屋の脇に、平らにならした砂地があり、ここにポンプで海水を汲み上げて撒く。ポンプが登場する前は、桶に海水を汲み、海と塩田を何度も往復した。

 能楽に、「松風」という曲目がある。松風、村雨という汐汲みの若い姉妹が、在原業平(だったかな?)に恋をするという物語だ。美しく、せつない恋物語だが、実際の塩作りを知ると、見方がいささか変わる。可憐な姉妹と、汐汲みの過酷な作業が、どうもマッチしない。この姉妹、顔は可愛くても、体はたくましかったに違いない。腕には力こぶができ、鍛え上げた足腰は、どっしりしていただろう。

 珠洲市の塩はネット販売もしていて、天然塩は注目されている。家に戻って、この塩でおにぎりを作ったが、同じお米なのに、ご飯の味が違った。米の甘みを際立たせる塩だ。

2019年05月27日

輪島の千枚田

 能登半島では、おいしいお米もとれる。斜面をこんなふうに、コツコツ耕し、少しでも土地を活用しようと頑張った結果、こんなに美しい風景が出現した。漆芸や、加賀友禅、九谷焼など、手間暇かけて作り上げる工芸品と共通したものを感じる。

 敢えて美を生み出そうとしなくても、精魂込めた努力は、美しいものを作り出すのだ。人の生き方も同じかもしれない。誠意と情熱をもって生きている人は、素敵だ。

 

 海の色が美しい。太平洋の明るいブルーとはひと味もふた味も違う、いくつかの種類の青が混ざった、複雑な色だ。人の心の中のさまざまな思いも、海の水に溶け込んでいるような、そんなことを思わせる海でした。

 

 

 

 

2019年05月26日

輪島塗り

 有名な輪島の朝市が開かれる通りの近くに、輪島塗の逸品を売っている輪島塗り会館がある。二階は輪島塗りの工程を説明する展示室になっている。広い店内には、目のさめるような、美しい作品が並んでいる。伝統的な絵柄のもの、モダンなもの、椀や盆の他に花瓶などもある。花瓶だけれど、花を活けずに飾ってもよさそう。

 細い線でこまやかに描かれた模様が見事だが、やはり漆の奥深い色が、強く心に飛び込んでくる。技術を磨き、手間を惜しまなければ、秀逸な物が出来るのだと、改めて思う。美しい物を眺めて暮せば、自分の美意識も磨かれる。

2019年05月23日

キリコ

 キリコ会館では、能登半島のあちこちで行われる祭りのビデオも流している。神輿ごと川に飛び込んだり、神輿が暴れまわって横倒しになったり、神輿に火をつけるというのもあったかな? 豪快を通り越して、乱暴狼藉の限りを尽くすという感じだ。

 それらの神輿の先陣を切って、これらのキリコが登場するのだろう。その有様を想像すると、よそ者の私の血も湧いてくる。

 

 

 

 

2019年05月22日

能登の祭り

 写真は、能登の祭りで使われる御神燈です。高さ4メートルはあろうかという大きなもので、神輿のように下部に担ぐための棒があり、男達が担いで神輿の前を練り歩きます。この独特な御神燈は、キリコと呼ばれています。

 輪島のキリコ会館に、この御神燈がたくさん展示されています。江戸時代のものもあり、それは今は使われていませんが、現在使用されているものよりずっと大きく、重さもありそうです。キリコのサイズが少し小さくなったのは、電線にひっかかるからだとか。ちょっと残念ですね。

 

 

2019年05月20日

和倉温泉

 金沢から特急で約1時間。能登半島の付け根に位置する、静かな温泉地だ。さほど広くない温泉街は、連休が終わったせいか、人はまばらで、都会の喧騒を逃れて心身を休めるには、絶好の場所と思えた。加賀屋など由緒ある旅館が並んでいるが、土産物屋は少なく、ひなびた風情が漂う。

 泊まった宿は、加賀屋グループの虹と海というホテルで、白を基調にしたモダンな造りになっている。加賀屋旅館の若い人向けリーズナブル版といったところ。

 部屋に入ってみてわかったのだが、窓からのぞくと、このホテルも隣のホテルも、海に面した部分は、海中に杭を打ち、海にせり出して建てられている。泊まった部屋は14階だったが、窓の真下は海面で、ゆらゆらと動く水を眺めていると、船に乗っているような気分になる。船酔いしそうな感じだ。

 カモメや小さい海鳥が飛び交うのを眺めながら、露天風呂に浸かる。ああ、これ以上の贅沢があるだろうか!

2019年05月19日

お茶屋美術館

 ひがし茶屋町にある。文政3年に建てられたお茶屋を、当時のままに残し、芸妓さんたちが使っていた簪や化粧道具、酒器類などが豊富に展示してある。

 簪はどれも繊細な作りで、見飽きない。化粧道具は興味深いし、九谷焼の徳利や盃は、ため息が出るほどだ。

 二階が座敷になっていて、壁が鮮やかな紅色の部屋と、それとは対照的な群青色の部屋がある。紅は弁柄、青はラピスラズリの粉が使われている。火鉢には螺鈿のような装飾が施され、襖の引手は一般家庭では見ない、可憐な形に作られている。

 眺めているだけで、おしろいの匂いが漂ってくるような、なまめかしさがあり、同時に心の底にずんと響く凄みがある。この凄みは何だろう。お茶屋という商売の、世間に立ち向かっていく凄み、残酷な世間に負けまいと、冷淡な世間をいっそこちらが呑み込んでやろうとしているような、凄み……。

 このお茶屋の過去に、ふっと引きずり込まれ、のめり込む自分がいる。

 

 

2019年05月18日

もうひとつの茶屋町

 ひがし茶屋町から川を渡ったところに、主計(かずえ)町茶屋町がある。ひがし茶屋町はお茶屋の建物をお店にして、観光地になっているが、主計町茶屋町は、現役のお茶屋さんが並び、夜になると三味線の音が漏れ聞こえたりするそうだ。私達が訪れたのは昼間なので、真昼の茶屋町は太陽の下、眠ったように静まり返っていた。

 こちらはひがし茶屋町に比べると小さな区画で、浅野川に沿って、お茶屋さんが並んでいる。旅館もある。こういう旅館に泊まったら、どんな気分がするのだろうと思いながら、足の向くまま、好奇心の赴くままに散策を続けた。

 

 

2019年05月17日

ひがし茶屋町

 金沢に3つある茶屋町のひとつ。写真のような道が何本も通り、昔お茶屋さんだった建物が、さまざまなお店に改造されて、観光客を集めている。茶屋町に一歩足を踏み込むと、文字通りタイムスリップしたようだ。ショウウィンドウがないので、一見、お店とはわからず、古い建物が連なる路地には、しんと静まり返った空気が漂っている。

 骨董品の店や現代作家の作品を集めた店が点在し、町を一巡するだけで、金沢のさまざまな工芸品を見ることができる。あれも見たい、これも見たいと、歩き回って足が棒になる。

 休憩に入ったのは、森八という和菓子の老舗がやっている喫茶店。二坪ぐらいの涼しげな中庭を眺めながら、抹茶のアイスティーと、食べるのがもったいないような、綺麗な和菓子をいただく。練りきりの桃色が、目に優しい。

 

 

2019年05月15日

加賀料理

 兼六園のお茶屋さんでの昼食。治部煮、鯛のお刺身を昆布でシメたもの、前菜、一口大の麩まんじゅう、等々。どれも美味しい。お酒を少し頂いて、池を眺めながら、ゆったりとした時を過ごした。

 お昼ご飯のあと、手入れの行き届いた庭を散歩。広くて、全部は回れない。加賀藩の何代目かの殿様が植えた松を見て、石川県立美術館の方の出口をめざす。古九谷のお皿が見たいので。

 高々と聳える松は、加賀藩の力を象徴しているようだ。

 

 

2019年05月14日

金沢

 仲の良い友達が金沢の出身で、いつかは行ってみたいと思っていた。あまり予備知識のない、大雑把な予定しか立ててない旅だったけれど、見るものすべてが奥が深く、美しく、金沢の文化の層の厚さをしみじみ感じた。豊かな海の幸に恵まれた、洗練された食文化、技の頂点を極めた工芸品。そして天下の名園、兼六園。街の中心に高い石垣が聳え、クラシックな建物が点在する。

 京都の雅に比べ、どこか無骨な、どっしりとした武家の文化に、高い美意識が混ざり合っている。この感じ、たまらなく好きだ。

 ニュース番組にも時々出てくる、兼六園の大きな池は、実際に見ると、ほうっとため息が出るほどの美しさだった。

 

 

2019年05月13日

 昨日の天気の急変にはまいった。近くのショッピングモールに出かけ、雨にやられた。ブドウの粒くらいの雨粒が、バシャバシャ降ってきた。

 雹が降ったところもある。道路に大量の氷の粒が流れている映像をテレビで見て、5年前を思い出した。

 2014年、私が住む街に、ものすごい雹が降った。雨樋が穴だらけになり、ガレージやベランダの屋根がボロボロになり、道路より低い位置にあるガレージには大量の雹がたまって、車が壊れた。排水口も埋まった。

 当時、古民家同然だったうちのガラス戸は、サッシに変えておらず、昔ながらの薄いガラスがはまっていて、3部屋分のガラスが5分くらいの間に粉々に砕け散った。部屋中に散らばった破片を、呆然と眺めた。

 大きな災害に遭った人が、テレビのインタビューで、「頭が真っ白になった」と言っているけれど、私の頭もまったくその通りだった。

2019年05月05日

天気良くない

 晴れると予報にあっても、曇り空。雨も降る。夏日と気象予報士が言っていても、底のほうに冷気が潜んでいるような気温。

 せっかくの長い休みなのに。

 温暖化と異常気象。どうしたらいいんでしょうね。

 建築の世界では、木で高層ビルを作るという構想と計画が、世界的な潮流なのだそうだ。木をどんどん植えて、二酸化炭素を吸収し、温暖化を防ぐ。木で高層ビルと聞くと、ビックリするけれど、考えてみたら、日本人は昔から木で高い建物を作ってきたのだ。五重塔とか。

 薬師寺の五重塔が再建されたとき、宮大工は千年先を考えて、建築をしたそうだ。代々受け継がれてきた木造の建築工法には、世界に誇れる凄い技術があるのだ。それを発展させれば、木造の高層ビルが建てられるのだろう。

2019年05月03日

ティアラとネックレス

 新皇后の髪に輝くティアラと、首元の大粒のダイヤに目を奪われて……。二連のダイヤのネックレス! 本来は三連で、ドレスに合わせて一連外したのだとか。値はつけられないとのこと。重そうですね。この宝飾品は、国の所有なのだそうです。

 素晴らしい能力をお持ちの、雅子様のご活躍を願っています。

 皇室は、もっともっと開かれた、自由なものにならなければいけないと思います。

2019年05月02日

令和

 平成という名前は、ピンとこなかったけれど、令和という名は好きだ。凛として美しい。万葉集から採られているのも、なんとなくいい感じだ。亡くなった母と叔母は、万葉集が好きで、二人が話す万葉集についての会話が、うろ覚えに心の中に残っている。

 安倍総理が、元号を国書から採ることにこだわったというのは、ちょっと嫌な感じがするけれど。

 美しい元号だけれど、役所が元号を使うことにこだわるのには、閉口する。事務手続きは西暦でやってほしい。役所以外はほとんど西暦だ。食品の賞味期限だって西暦だ。

 

 シクラメンがまだこんなに咲いてます。そもそもシクラメンは、寒い土地の花ではないのだそうだ。雨季と乾季がある国の花で、日本の冬を雨季と思って咲いてるのだ、とか……。

 

 

 

2019年05月01日

同窓会

 子供の頃、一緒に勉強したというだけで、卒業後の生き方はまるで知らない。見知らぬ他人も同然なのに、昔机を並べていたというだけで、気を許してしまう。考えてみれば、不思議な集まりだ。

 子供の頃の面影がかすかに残っている人、まったく別人のようになった人、ひと目でああ誰さんねとわかる人。いろいろだ。

 我ら桐朋生は、小学校のクラス会を、なんと月に一度くらいのペースでやっている。集まるのは6人から10人前後で、ほぼ毎回出席する人、たまに顔を出す人、それぞれの事情と気分で、顔ぶれは変わる。要するにお酒を飲む機会が欲しいだけなのかもしれないけれど、皆それぞれ、いろんな人生を歩んでいて、そのことが面白い。同じ校門から巣立った人達が、さまざまな経験をし、困難を乗り越えて、ここに集まっているんだという感懐があり、人生というものをしみじみ感じてしまって。

 

 今朝のバラ。花びらが開くにつれて、ピンク色が全体に広がってきた。変化を楽しめる。毎日、小さな幸せをくれる。

 

 

 

 

2019年04月27日

バラ

 バラが昨日より開いて、花が一回り大きくなった。毎朝、このつるバラを見るのが、幸せなひととき。

 

 

2019年04月26日

バラが咲いた

 クライミングローズが開きかけている。もうちょっとたったら、綺麗な写真が撮れそうだ。蕾はたくさんついている。

 ミニバラは、植え替えをしたら元気になった。鉢を一回り大きくし、びっしり巻いてしまった根を少し切り、栄養たっぷりの土を入れた。木の勢いがいいと、うどんこ病などの病気になりにくく、アブラムシもつかないと、園芸サイトに書いてある。今年は、買ったときのような美しい花が咲いてほしい。

 ラベンダーはどんどん育って、白と紫の花をたくさんつけている。挿し木で増やせるかもしれない。

 

 

2019年04月24日

もう夏?

 5月の陽気が続いている。去年の今頃は、花粉症による皮膚炎に悩まされ、顔が腫れて、さんざんだった。ワンちゃんロスのために妹は落ち込み、家の中には暗い空気が流れていた。今年は、愛らしいトイプードルのおかげで、我が家は笑いが絶えない。しかーし、うちのワンコは歯茎に開いた穴の縫合がうまくいかず、実は悩みを抱えているのだ。

 歯茎に穴が開いたのは、この子が以前いたブリーダーの、犬に対する扱いがひどかったからだ。ブリーダーの仕打ちを考えると、憎しみが湧いてくる。ひどい罰を受けさせてやりたいと思ってしまう。幸い、ブリーダーの名前も所在も知らないので、憎悪に満ちた手紙を出すこともない。それができたところで、虚しい抗議でしかない。ブリーダーは、生き物を愛する人々の声を、聞こうとしないから。

2019年04月23日

テロ

 スマホに、スリランカで爆発があり、死傷者が129人というニュースが飛び込んできた。教会など三ヶ所で、爆発があったという。

 本当に不穏な世の中だ。

 静かな住宅街で暮らしていると、テロは遠い所の出来事のように思えるけれど、ぼやっと平和ボケしているわけにもいかないだろう。

 テロを起こす人々は、どんな感情に駆り立てられているのだろう。こういう現実の底辺にあるのは、格差なのだと思う。少数の人間が、世界を廻っているお金を自分の腕の中に必死にかき集め、他人に渡すまいとするから、ひずみが火山のように爆発する。

2019年04月21日

まったりと

 土曜日ということもあって、どこかのんびりとした一日。妹の犬の散歩につきあって、近所の建て売り住宅群を見て歩いた。10棟くらい建っているだろうか。駅に近く、前の道路は広々として、石畳の歩道もゆったりしている。緑がけっこうあって、立地条件はとても良い。で、お値段もこの辺にしては、ちょっとお高い感じ。

 家を見るのは、楽しい。モデルハウスの見学も、近所の家々を外から眺めるのも。イングリッシュガーデン風の庭を、綺麗に手入れしている家、玄関まわりをおしゃれに飾っている家、どこで買い求めたのか聞きたいくらいの、可愛いガーデングッズを配置している家。

 ボロボロの空き家も、チラホラある。人が住んでいないと、なんとなく不安になる。頭の狂った人が、火をつけたりしたら、とか、ふと考えてしまう。

 広い敷地の一部分に、小ぶりな家を建て、引っ越してくるかと思いきや、もう3年近くも誰も住んでいない。そういうお宅もある。あと一軒は十分に建てられそうな、広い敷地は、草ぼうぼうだ。野良猫の格好の隠れ家になっている。

 

 

2019年04月20日

5月

 気温、23度。連休の頃の陽気だ。汗ばむ季節がやって来る。

 玄関ポーチの手すりに下げた鉢の草花が、こぼれんばかりに咲いている。隣の奥さんに「綺麗ですねぇ」と褒められた。シクラメンも勢いよく咲いている。冬の花というわけでもないんだね。

 嬉しくて、毎日バラの蕾を見ている。

 

 

2019年04月19日

グリーン

 庭の芝生が見るたびに緑になっていく。キンモクセイの若葉はあっという間に育ち、冬の頃に比べると全体がふた回りくらい大きくなった。建て替える前の庭に植わっていたキンモクセイは、樹高が二階の窓に届きそうなくらいだった。この木はすごく成長するのだ。今年の秋には、甘い匂いをあたりに振り撒くだろう。

 お待ちかねのつるバラの蕾が、ふくらんできた。つぼんだガクの隙間から、紅色が覗いている。ときめくー。

 

 

2019年04月17日

ラベンダー

 ラベンダーの花がふっくらしてきた。この、白と紫の花、すごく気に入っている。

 山梨にいたとき、河口湖のハーブフェスティバルに、毎年出展していて、かなり広いスペース一面に咲くラベンダーを見るのが、楽しみの一つだった。ラベンダーの苗もたくさん売られていたが、白い花びらがつくラベンダーは、見たことがなかった。

 売り上げはまあまあだったけれど、ハーブフェスティバルが始まると、夏の気配を感じて、気分が上がった。

 

 

 

2019年04月16日

ネコ

 面倒を見ていた野良のマダちゃん。行方不明になって、10日あまり。片目の周りが腫れて、食欲もなかったから、どうなっているかとても心配。

 もう死んじゃったかもしれない。野良猫の寿命は7年くらいだそうだ。7歳にはなっていないはずだけど(避妊手術をしてくれた獣医さんの言葉によると)、やはり野良生活は過酷なのだ。

 先々月、女子会で西新宿のホテルに行った帰り、都庁の近くで、ホームレスの人達のための炊き出しをやっていた。たくさんのホームレスの人が集まっていた。昨日までふつうの暮らしをしていた人が、ホームレスになる時代だ。恐ろしくもあり、胸が痛くもある。凍える冬を、あの人達はどうやって過ごすのだろう。

 

 あー、マダちゃん!

 

 

2019年04月14日

ジブリ

 ゆうべ、宮崎駿の「風立ちぬ」をテレビでやっていた。前に見たのだけれど、絵が見事なので、見惚れているうちに物語の世界に引き込まれてしまった。音楽の使い方がとてもオシャレで、疼くようなせつない思いがこみ上げてくる。

 見終わったあとも、悲しみが心の中に居座ってしまい、今朝目覚めてからも、まだ悲しかった。

 飛行機を作るという夢を抱き続けた少年が、優秀な技術者になり、時代は太平洋戦争の真っ只中で、ゼロ戦を完成させるという話だ。これは実話だから、技術者としての純粋な情熱と戦争という現実との絡み合いが、深い悲しみとなって心に迫ってくる。声高らかに反戦を訴えるよりずっと、戦争をしてはいけないという気持ちを、人々の心に呼び起こさせる、そういう作品だ。

2019年04月13日

古代の災害

 つまり、ノアの箱舟です。旧約聖書が出来上がったのが、紀元前2000年くらいらしいから、そのもっと以前に起きた、世界規模の大災害。

 聖書だけでなく、古代メソポタミア文明の神話や叙事詩にも、聖書とそっくりの大洪水の話が出てきます。箱舟の大きさや構造までも、よく似ています。嵐がおさまったあと、鳩や烏を飛ばして、陸地が現れたかどうか確かめるくだりも、そっくりです。

 未曾有の災害が、現実にあったんじゃないかと思う。「神の怒り」というフレーズを取り外すと、妙に現実味を帯びてきます。

2019年04月12日

雨上がり

 たっぷり水を吸った植物たちが、活気づいている。

 バラの蕾が、ふくらんでいる。

 よくわからずに買ったラベンダーの鉢。花が咲いたら、こんなだった。白い花びらが上に付いているラベンダーは、初めて見る。

 

 

2019年04月11日

雨、雨、雨

 一日中降っている。こんなに切れ目なく降るのも珍しい。奥多摩は雪だ。山中湖も。今頃、富士吉田の桜は、雪を分厚く被っていることだろう。何年か前も、4月に雪が降り、大きな満開の桜に雪が積もった。絶交のシャッターチャンスだった。

 時々、富士吉田を懐かしく思い出す。ふらりと訪れて、あのなんていうことのない町を、歩いてみたいと思う。とてつもなく大きな富士山が聳え、汚れた根雪がいつまでも残り、うそ寒い風が吹く、春の富士吉田。無我夢中で過ごした十数年だったが、今思えば、山ほどの収穫を得た。

 これは2014年の3月に、富士吉田に降った雪。一晩で80センチ積もった。玄関を開けると胸の高さまで雪があり、外へ出られなかった。近所の人達と必死で雪かきをし、ようやくこの細い通路を作ったのだ。

 富士急行は一週間不通。高速バスは10日くらい運休した。

 

 

 

2019年04月10日

寒の戻り

 今日は16度。明日は最高気温が7度だそうだ。北海道は今、雪が降っている。

 桜の季節は、けっこう寒いのだ。外で宴会をするには、いささか厳しい気温なのだ。それなのに、なんで日本人は花見というとレジャーシートの上で酒盛りをしたがるのだろう。

 外国では、屋外でお酒を飲むのは、法律違反になるそうだ。

 お寺の傍の桜を、しみじみ観賞した。今日が満開で、あー今年最後の桜だと思って、見上げていた。うんと高齢になると、「また桜が見られるかしら」という心境になるのだそうだ。今年はお花見ができたけど、来年は? そんなふうに思うときが、いつか私にも来るのだ。舞い落ちる花びらを眺めながら、ふとそんなことを考えた。

 

 

 

 

2019年04月09日

ガーデニング

 ベランダに敷くタイルを買ったら、急に嬉しくなって、アイディアを練っているうちにコーフンしてきて、眠れなくなった。

 睡眠って不思議だ。仕事しなきゃ、勉強しなきゃと思っていると、睡魔が襲いかかり、眠らなきゃと思うと、目が冴える。布団に入ると眠れなくなるのは、多くの人がそうみたい。

 チューリップの鉢を玄関外の階段に置いた。赤い花が終わり、今は花びらの多い白い花が、春を満喫している。しかしこれでチューリップは終わりかもしれない。葉っぱはたくさん出ているが、蕾がもうない。やはり二度目の球根は栄養が足りないのか。

 ラナンキュラスも、球根を植えて、葉が出たけれど、成長がストップした。園芸店の店先には、ラナンキュラスが咲き誇っているが、うちのは苗がかじかんでいる。

 あとは、クライミングローズが楽しみだ。

 

 

2019年04月08日

野良ネコ

 ごはんをあげている野良のマダちゃん、ここ5日ばかり、姿を見せない。マダちゃんだけでなく、そこいらをうろつき回っていた何匹もの野良猫たちも、みんなどこかへ行ってしまった。おおげさな表現ではなく、突然、煙のようにかき消えた。

 何かあったのではないかと、嫌な想像が湧く。市が野良猫の駆除をすることがあるのだろうか。あるいは動物を毛嫌いする人が、毒団子なんかを置いたとか。殺虫剤を染み込ませた穀類をばらまいて、鳩を殺した大学のセンセイのニュースが、ちらちら脳裏をよぎる。

 あー、マダちゃん、戻ってきてー。

 

 

 

2019年04月07日

満開

 都心より少し遅れて咲く、ウチのほうの桜も、満開になった。買い物の帰り、立ち止まって上を向いて、あ~ずっとこのまま見ていたいと思う。でも暇そうに桜を眺めているのは私だけで、皆忙しそうに歩き、せっかくの素晴らしい光景を見もしないので、自分がアホに思えてくるのだ。

 名所に行かなくでも、桜は十分楽しめる。むしろ、近所の桜のほうが、落ち着いて鑑賞できる。どっと押し寄せる人波に揉まれながらの桜見物は、いつも満たされない思いが残る。

 薄桃色の花の群れと、言葉にならない会話を交わす、

 

 

2019年04月06日

再び、桜

 都心より少し気温が低い我が町も、桜が満開です。青空をバックに、これでもかと咲き誇る花の群れを見上げていると、本当に幸せな気持ちになります。ひとつの世界を作り出す花というのは、桜しかないと思うのです。

 この写真はおとといのもの。場所は東京カテドラル聖マリア大聖堂。上から見ると全体が十字の形になっている、とてもモダンな建築です。

 

 

 

2019年04月04日

 あちらこちら、東京は花に彩られている。防衛省の敷地の中の、満開の桜を、バスの窓から眺め、防衛省に桜の木がたくさんあることに気づいた。桜と防衛省という取り合わせが、なんとなくマッチしていると思えた。日本を象徴する花と、日本の軍事。こういう連想は好きじゃないけど。特攻隊なんかも思い浮かんだりした。

 神田川の両岸は、枝が水面に向かって伸び、幻想的な風景だ。周囲に車が走ってなかったら、どんなに素晴らしい眺めが広がるだろう。未来、自動車という無粋なものが、なくなるかもしれない。そうなったらいいな。

 

 

2019年04月03日

令和

 午前中のニュース番組は、元号一色だった。元号なんてなんでもいいじゃないと思っていたのだけれど、この名前が発表されたとき、これはいいと素直に思った。平成よりも好きだ。

 昭和から平成に変わるときは、私は昭和生まれなので、少し淋しい気持ちになった。今回は平成よ、さようならなんていう感慨はないのだけれど、万葉集から採ったというこの名前は美しく、凛としていて、良い時代にしなければなあという気持ちになった。

 

 

2019年04月01日

心配事

 気にかかっていたことが、ひとつ解決した。ゆうべは陽だまりの中にいるような気分で、眠りにつきました。

 気が楽になった、と思ったら、グーグルのサーチコンソールの所有権確認がどうしてもできなくて、困りごとが新しく出現した。

 トラブルや問題は、ティーンエージャーのニキビのように、消えては湧くのだ。人生ってなんなんだろ。

 手塩にかけている植物は、小さいけれど喜びをくれる。芽が出たといっては、葉が増えたといっては、蕾がついたといっては、いちいち心が微笑む。今いちばんうれしいのは、クライミングローズに蕾がついたことだ。去年は苗木がどんどん枝を伸ばしたけれど、花は咲かなかった。このバラが咲くと、うちの庭はかなり派手になるのだ。

2019年03月31日

科学と常識

 ダーウィンから始まった進化論を全否定する研究結果が、アメリカで発表された。膨大な数の遺伝子を解析した結果、生物はより高度な種へと進化することはあり得ないということが証明されてしまったのだそうだ。

 ダーウィンは19世紀の人だから、科学が発達していないこの時代の人の理論を、一般の人々が信じていることも、なんとなくおかしいとは思う。

 科学者ではない多くの人々は、常識の中に生きている。常識を作っているのは、流布している知識であったり、誰かの思惑であったりする。常識が常に正しいとは限らない。

 みんな忙しいから、自分には関係のない、小難しいことは考えたくない。それに勉強も好きじゃない。

2019年03月29日

犬の服

 プードルは服が似合う。犬に服を着せるのは人間のエゴだと思うのだけれど、あまりの可愛さに、ついいろんな服を買ってしまう。

 

 

2019年03月28日

球根の勢いが…

 球根が十分に育っていなかったのだ。葉や花に栄養を取られて、根は力弱くなっていたのだ。掘り出した球根は、たしかに小さかったのだから。

 犬のトリミングに動物病院に行ったら、病院の玄関先に、チューリップの鉢植えが並んでいた。花は開いてないけれど、茎が長く伸び、蕾が大きかった。二度目の球根は、やっぱり駄目なのかなあ。

 

2019年03月27日

ホモ・サピエンス

 ちょっとした必要があって、人類の進化について検索したのだけれど、二足歩行をして火を使うようになった猿人は、本当に人類の祖先なのだろうかと疑問が湧いた。生物学的に、それは立証できているのだろうか。火を使うのは人間だけだというけれど、チンパンジーやいろんな芸をするサルを見ていると、こいつらも火を使えるんじゃないかと思ったりするんだけれど。

 誰が教えたのでもないのに、海水でお芋を洗って食べるサルの集団もいるしね。

 輪廻転生というものがあるとすると、私ってネアンデルタール人だったことがあるかもしれないってこと? オーマイガー!

2019年03月26日

目黒川

 この時期、脚光を浴びる目黒川。電車を降りると歩道に人がびっしりで、人波に押されるように川べりに出る。飲食店が店の前でお酒やおつまみを売っているから、歩きながら食べたり飲んだりできる。あまりにごみごみしているので、花の美しさが消されてしまう。

 見物客のマナーが悪いので、周辺に住む人はたいへんな迷惑をこうむっている。人が多すぎて、ガレージから車を出せない人もいる。道路脇はゴミだらけだ。

 美しさの頂点と言ってもいいくらいの景色が繰り広げられているのに、人間はどうしてこうも愚かなんだろうと思ってしまう。

 神殿の門前に物売りの屋台がひしめいているのを見て、キリストはカッとなり、屋台を片っ端から叩き壊したというような話が、聖書の中にあるけれど、キリストが現代に蘇って、花見シーズンの目黒川を歩いたら、すっごく不機嫌になるだろうね。

2019年03月25日

スーパー

 スーパーマーケットが一軒、なくなってしまったので、この界隈の人は、少し遠いスーパーへ行かなければならない。買い物難民だ。なくなったスーパーの入っているビルは、老朽化していて、スーパーの上のマンションに住んでいた人達は引っ越し、現在建て替え中だ。ビル建て替えに伴い、百均もなくなった。文房具やゴミ袋を買いに、遠くまで歩く。ほんとに難民だ。

 駅前に一軒残った狭いスーパーに、人が押し寄せる。カートも使えないような細い通路を、皆、険しい顔をして歩いている。大きな店ではないから、品数が限られ、お目当ての品が置いてないことも多い。たまに狭い通路をふさぐように立ち話をしている人がいて、ついムカッとなるのだ。

 

 庭は着々と春の準備が進んでいる。

 

 

2019年03月24日

ゴミ

 ゴミの出し方が変わった。缶は、袋に入れて出すと、持っていってくれなくなった。カゴかバケツのような容器に入れなければならない。

 剪定した木の枝や草などは、市で売っている袋に入れなくてもよくなった。市の袋はけっこう高いから、ありあわせの袋で良いのはありがたい。以前、草茫々の庭だったとき、いったい何枚市のゴミ袋を買ったことか。あの頃自前の袋を使っていいのだったら、どんなに助かったことか、なんてケチケチ考えたりして。

 それでも、大量の庭のゴミを出していたとき、ゴミ収集の人に申し訳なくて、心の中で頭を下げていた。

 ゴミの収集は大変な仕事だ。減らす努力をしても、どうしてもたくさん出るのは、プラスティックゴミだ。おせんべいを一枚ずつ包装してあるんだもの。いつだったか、高級なおせんべいの詰め合わせを頂いたとき、数粒のあられをていねいに透明な袋に包んであるのを見て、妹と二人で大笑いした。ここまでしなくでもねえ。

 ジャングル状態の、以前のウチの庭。よくもここまでほっといたもんだ。

 

 

2019年03月23日

チューリップ

 一度咲いた花の球根から、たくさん芽が出て、順調に育ってると思いきや。茎が伸びる前に、蕾がつき、なんと花が咲きそう。どういうことになるのでしょう。

 

 

2019年03月22日

桜、桜

 やっと開花宣言が出た。これからしばらく、散ってしまうまで、なんとなく心落ち着かない。桜が咲く国に住んで、本当に良かったと、この時期はいつも思う。

 オリンピックの聖火のトーチが、桜の花をかたどっている。ピンクゴールドのおしゃれなトーチだ。

 道明寺の桜餅。塩漬けの葉といっしょに食べる。浅草は観光客が増えたおかげだそうで、地価公示価格が跳ね上がった。「こんなに面白いところはない」と、外国人が感激していた。

 屋形船も楽しい。また乗りたいなあ。

 神谷バーの電気ブランは、悪酔いしそうだった。

 

 

2019年03月21日

桜の季節

 ウキウキしますね。千鳥ヶ淵が、うっすら色づき始めた。近所の桜も、ひとつだけ、蕾がふくらんでいる。

 桜は、一人で眺めるのが好きだ。大木を見上げると、花の群れの中に吸い込まれそうになる。あの感覚が好き。幻のような世界を作り出す、不思議な花だ。

 千鳥ヶ淵がいい。目黒川は嫌い。

2019年03月20日

日が長くなって

 夕方6時でも、まだ明るい。11月、日が短くなってくると、気持ちが下を向き、3月、だんだん日が長くなると、それだけで嬉しくなる。

 春は空の低いところに、月が出ていることがある。異様に大きな、赤い月。思わず見入ってしまう、不気味な月。ルナティック……気が狂うという意味。

 植物はどんどん成長している。ジューンベリーの芽がふくらんで、ネコヤナギみたいだ。蔓性の植物が、蔓から根を伸ばし、思わぬところに新しい葉を伸ばしている。庭は、丹念に見ていると、ワンダーランドだ。

 

 

 

2019年03月19日

死ぬということ

 内田裕也が亡くなった。樹木希林が亡くなって、数ヶ月。妻のもとへ行けて、幸せだという感想を持ってしまう。

 内田裕也の、「朝日のあたる家」を聞いたことがある。素晴らしかった。ロックは魂そのものだと思えるような歌。

 クィーンの歌も、魂そのものだ。

 内田裕也もフレディ・マーキュリーも、あの世の人だ。あの世で彼らは、どうしているのだろう。

2019年03月18日

芝生

 一面茶色の中に、僅かずつ緑が生えてくる。真っ先に葉を広げるのは、したたかな雑草だけれど、細いグリーンの芝の葉も、徐々に自分たちの領分を広げている。

 芝の下の土は、耕すことがむろんできないので、酸素の供給が乏しくなる。土に酸素を与え、微生物のはたらきを活発にするために、等間隔に芝生に穴をあける。エアレーションという。

 年に数回はやったほうがいいらしいのだが、けっこうたいへんなので、芝が新しい芽を出す前に、一回だけやる。2月にやるのがベストだが、つい忘れてしまったので、今頃になって慌ててやった。

 芝を敷く前段階、土を平らにならしたつもりだったが、あちこちデコボコしている。気になりながら、芝生の上を行ったり来たりして、草刈り鎌を芝に突き刺していった。

2019年03月17日

つるバラ

 だいぶ葉が出てきた。枝がどんどん伸びていった去年とは、葉の付き方が違うように見えるけれど……。今年は花が咲いてくれるかなあ。

 

 

2019年03月16日

スピリチュアル

 魂……。精神……。自分というものの証である精神って、なんだろう。

 答えの見つからないそんな疑問に、本気で向き合おうとしているこの頃です。

 そもそも精神とは、何なのか。私はどこから来たのか。どこへ行くのか。

 魂というものを理解し、そこに重きをおいて日々を生きたら、人生が今までとは違って見えてくるかも……、なあんて。

2019年03月15日

花屋の店先には

 もうチューリップが売られている。カッコよくふっくらと花びらを閉じた、白やピンクや黄色。温室で育てるのだ。うちのチューリップは、芽が大きくなりつつあるところ。

 今日はホワイトデー。デパ地下のお菓子売り場で、箱に並べられた綺麗なチョコレートを、じっと見つめている高齢の男性がいた。奥様に買って帰るのだろうか。

 

2019年03月14日

これも桜?

 気温が上がったら、いっせいに開花した。桜はソメイヨシノと、早咲きの河津桜しか知らない。近所のグリーンベルトに生えているこの木はナニモノだろう。

 コブシの花も満開で、大きな白い花びらを、空に向かって広げている。樹高が高く、下からしか写真を撮れず、撮った画像がすごく間抜けだったので削除した。

 大自然はこんなにも穏やかで整然と生きているのに、ヒトはどうしてギスギス暮らすのだろう。

 「パリの獣医さん」の著者は、動物から学べと言った。物言わぬ自然は、実は多くのことを語っている。

 

2019年03月13日

中国人のペット事情

 いろいろ大変そう。日本では考えられないことが行われている。

 その1……リードなしで犬の散歩をする。シェパードのような大型犬でも。人に噛み付いたりして、トラブルになっている。

 その2……ペット業者が、大型犬に色を塗って、トラやパンダのようにして、売っている。どんなに絵の具で色をつけたり模様を描いたりしても、犬は犬でしょ。洗ったら、色が落ちるし。それよりなにより、犬がかわいそう。犬の健康に良くない。

 

 メリーゴーランドに、生きた馬をつないで、終日歩かせている遊園地もある。経営者は、馬の運動になると言っていた。開園から閉園まで、いっときも休まず、歩き続けるのだよ。これは拷問です。

 

 日本では、動物の殺傷は、器物損壊罪に当たる。動物は物か?

 

2019年03月12日

花粉

 大月の山の中で、杉の花粉がもうもうと舞うのを、間近で見たことがある。渓流の傍の小ぶりな旅館の中庭だったと思う。テレビにたまに映る映像にそっくり。杉の葉の間から、山吹色に近い黄色の粉が、大量に、空中に散っていった。あとからあとから湧き出るように粉が振り撒かれた。

 そのころは花粉症にかかっていなかったので、たいへん面白く見物したのでした。

 たしか5月の、素晴らしい天気の日だった。暇を持て余していた私は、花粉を見物したあと、川沿いの道を一人で散歩した。透きとおるような美しい緑に囲まれて、私は幸せだった。どんどん歩いて、人家からだいぶ離れたところで、突然、大月の山には熊がいることを思い出した。

 この山に住む知り合いは、犬の散歩をしているとき、道路脇の森の中に熊がいるのに気が付き、愛犬は秋田犬だが、それを抱き抱えて、恐怖に背中を押されながら家を目指したそうだ。集落のはずれに飲み屋があり、その店はトイレが店の外にあり、用を足しに行ったら、トイレの前に熊がいて、オシッコどころでなく戻ってきた、という話もある。

 幸い、私は熊に出会わなかった。うっとりするような散歩を切り上げ、緊張して、花粉の舞う旅館に引き返したのだ。

2019年03月09日

春眠

 なぜ、春は眠いのだろう。

 冬の間、寒さで緊張しっぱなしだった体が、緩むからだろうか。

 花粉の問題さえなければ、春は心地よい。

 東京の桜の開花は、今月21日だとか。どうしてそんな細かい日付まで予想できるのだろう。

 桜が咲いて、フワフワした気分で暮らしていると、すぐ5月になってしまう。平成よ、サヨウナラ。

 

 

2019年03月08日

源氏物語

 一念発起して、谷崎潤一郎訳の源氏物語を読み始めた。六条の御息所の生霊が、葵の上を呪い殺す章まで読み進んだ。

 平安時代は死霊、生霊の存在がまともに信じられていたから、この話は人々を震え上がらせたことだろう。現実的に見れば、葵の上は重い病気にかかって、こと切れたのだけれど。

 救いようのない不細工な容貌に生まれついた末摘花、強い怨念や嫉妬を、自分でもどうしようもない、知的で気位の高い六条の御息所。男に愛されにくいこれらの登場人物に、哀れを感じてしまう。作者はこの二人の女性に、あまり気持ちを寄り添わせていない。すんなりと人生を生きられない人々を、もっと柔らかく包み込んであげたらいいのにと思う。

 それにしても、光源氏は好色すぎる。今、こういう人がいたら、精神鑑定やカウンセリングを受けたほうがいいんじゃないかと思うくらいだ。他人の家に無断で忍び入り、戸や屏風の陰からその家の女たちを盗み見て、挙句の果ては人妻の寝室に深夜入り込んで、一緒に寝てしまうのだ。なんとしたことか! 

 それとも平安時代は、これが普通だったのだろうか。

2019年03月07日

空気の匂い

 夕方、野良猫のマダに餌をやろうと、サッシの掃出し窓を開けると、春の宵の空気の匂いがする。芳しい香り。植物が根や茎の内部に、いろんなものを用意している、その命のみずみずしい匂いだ。

 ひところ元気のなかったマダは、缶詰のフードに変えたせいか、食欲が出てきたみたいだ。

 ネコの島で、糞の掃除が追いつかず、問題になっていると、ニュースで報じていた。島民が高齢で、糞の始末をする人が少なくなったとか。ネコのおかげて観光客が大勢やって来るのだから、誰かに掃除を押し付けず、みんなで協力すればいいのに。

 ドイツには犬税というものがあり、飼い主が払った税金で、道路の糞の掃除などをするのだそうだ。ドイツ人は犬の散歩のとき、日本人のように几帳面に糞を片付けないらしい。

 以前、妹が犬の散歩中に、近所に住む俳優のN氏に、塀の際に犬がオシッコをしたと、したたか文句を言われた。それはN氏の勘違いで、実際にはそのとき犬は地面を嗅ぎ回っていただけで、オシッコはしていなかったのだ。それ以来、妹はN氏が大嫌いになった。テレビにN氏が映ると、何かしら目の敵にしているような表情を浮かべる。

 動物の糞尿問題は、たしかに根が深い。

 ウチの芝生は野良ネコたちのトイレにもなっている。春の匂いに、ときどきウンチの臭いも混じるのだ。

 

 

2019年03月06日

富士山

 5年前まで、富士急ハイランドの近くに住んでいた。とてつもなく大きな富士山を毎日見ていた。

 いつも富士山が視野の中にあると、有り難みを感じなくなる。そのうち見向きもしなくなる。このどでかい雪山がなかったら、麓の町はもっと暖かいのにと、愚痴をこぼしたりする。

 今朝のニュース映像で、裾野のほうまで真っ白になった富士山を見て、ふと戻りたくなった。巨大な山を、間近で見たくなった。富士の姿に飽きて、ろくに眺めもしないで暮らしていた頃を思い出し、もったいないことをしたものだと思った。

 貴重なものも、身近にあると、粗雑に扱ってしまうのが、人間なんだな、と。

 家族にしたってそうだ。自分にとって大切なものなのに、いるのが当たり前になり、ときにはストレスの種ともなるから、粗略に扱ってしまうのだ。人って、ほんとにワガママだ。

 

 

 

2019年03月05日

 しかし寒い。おととい、昨日と、気温差がありすぎて、暖房を強くし、冬ごもり状態。

 雨に濡れた庭を眺めると、植物は元気そうな表情をしている。このところ、ビオラの生育が良くなってきた。寄せ植えにした別の花の勢いに押され気味だったのが、花の数が増えた。紫のビオラが、雨雲の下で、鮮烈な色彩を放っている。

 ラナンキュラスの苗が、また少し伸びた。もう少し大きくなったら、素焼きの鉢に植え替える。いろんな色のを、ひとつの鉢に植える。赤、黄、赤紫、濃いピンク、うまくいったら、美しい鉢植えになるはず。

 チューリップの球根は、ふたつ芽が出ているだけ。これで終わりか。失敗かもしれない。

 

2019年03月03日

音楽

 ボヘミアンラプソディを二度観た。5、6回観ている人もいるから、私など浅いほうだ。

 それでも、観たあとは翌日まで、クィーンの曲が頭の中をぐるぐる回っている。

 音楽は人々を幸せにすると、つくづく思う。心に訴えかけ、動かしていく。

 動物も、音楽のようにダイレクトに、人を幸せにすると思う。このふたつのものの力は、もう理屈ではなく、天からの贈り物のような、とても不思議な力なのだ。

2019年03月02日

春になって

 明日から3月。花粉の心配はあるけれど、春の兆しが見え始めると、やはり気持ちは浮き立つ。

 チューリップの球根が、芽を出した。去年咲いた花の球根を掘り出して、物置に保存しておいたのを、冬に埋めたものだ。ちゃんと育つかどうか心配だが、とりあえず芽は出たのだ。

 剪定して枝だけになったクライミングローズも、新しい芽をあちこちに出し始めた。赤い小さな芽だ。ガーデニングをするようになってから、植物の芽に心惹かれるようになった。育てる楽しみのクライマックスは、むろん花が咲いたときだが、芽というものは、なんともこちらの気持ちをわくわくさせる。人間だって動物だって、赤ちゃんを見ると、心がパアッと晴れるものね。あれと同じだ。

 

 

 

2019年02月28日

死ぬということ

 癌になった叔母の介護のために、山梨の工房をたたみ、東京の実家に移り住んだ。叔母は一年ほどの闘病の末、あの世に旅立った。

 叔母の死を通して、死というものがリアルに心の中に定着した。真正面から死に向き合うようになった。

 自分が死ぬときは、どんな感じなのだろう。叔母はどんなことを感じながら、死を迎えたのだろう。死んでしまった人は、伝える手段を持たないから、死がどういうものかを語ることができない。あの世へ旅立った人が、死ぬとはこういうことだよと、話してくれたら、どんなにいいだろうと思う。

 私達は、結局のところ、死から顔をそむけて生きているのだと思う。動物でも人間でも、死体は不気味で怖い。おぞましいイメージが死というものを分厚く包み込んでいるから、私達はなるべく死について考えまいとする。

 でも本当は、もっと死に向き合ったほうがいいような気がする。いずれ必ずそこに至るものなのだから、心の奥で、静かに死について考えることも必要なのではないだろうか。

 

2019年02月27日

ボブという名のネコ

 という題名の映画を、テレビで見た。麻薬中毒のストリートミュージシャンの青年が、とても可愛い茶トラの野良ネコと出会い、ネコとの交流に支えられて立ち直るという、実話をもとにしたドラマだ。

 青年はホームレスになり、飢えと寒さと薬物依存で死の一歩手前の状態のところを、ボランティア団体に保護され、家を与えられて、更正の道を歩き始める。その家にある日、野良ネコが迷い込み、絆が生まれる。

 ボブと名付けられたネコを連れて、青年は路上に立ち、歌い続ける。ボブの可愛らしさに人々が集まり、嫉妬や嫌がらせも受けるのだが、その姿がSNSで広まり、新聞にも載るようになる。青年は薬を完全に断つために壮絶な闘いをし、依存症を克服する。話題の人となった青年は本の執筆依頼を受け、本は多くの人の共感を呼び、ベストセラーになる。

 作り物のストーリーだったら、あまり見応えはしない。ネコに救われたなんて、そんなのあるわけないじゃん、ということになる。でも、これは実話だ。

 

2019年02月26日

年取ったか?

 自由ネコのマダちゃん。キャットフードをあげても食べない。いつかは食べるのだが、すぐには食べない。ゴハンを目の前にして、窓の外の踏み台の上に丸くなっている。右目が涙目になっている。

 よその家で、おいしい缶詰のごはんをもらっているのかもしれない。それならいいのだけれど。

 この辺の野良ネコは、皆、体格がいい。まるまる太っている。餌をあげる人がけっこういるのだ。自腹で野良ネコの去勢手術をする人もいる。

 動物に接する態度で、その国の文化レベルがわかる、と言った人がいる。たしか、故ガンジー首相だ。

 

 

2019年02月25日

近所の公園

 昔は湧き水の池があった。何十年も前の話。公園の近くで大規模な建設工事があったとき、地盤を固めるのに伴って、地下水が枯れ、池は干上がった。今は人工の装置で水を入れている。周囲の道路より2メートルくらい低いところに、整地された空き地とあずまやがあり、鬱蒼と木が生い茂る。

 白い梅が満開だ。この黄色い花をつけた木も梅みたいだが、蝋梅とも違うようだし、名前はわからない。

 遠くから眺めると、花と蕾が陽に照らされ、宝石のように光って見えることがある。

 

2019年02月24日

清々しく

 ひとつ、嫌なモヤモヤが心の中から消えない。人は難しい。こちらは誠意をもって接したのに、ふとしたことでこじれる。

 この庭のように、気持ちをすっきりさせたいのだけれど……。自助努力しかないね。

 

2019年02月22日

フクロウ

 都内のあるご夫婦が飼っていたミミズクが逃げ出した。朝のニュースで、屋根にとまって落ち着き払っているミミズクの映像に目がとまった。周辺の住民は大騒ぎだが、ミミズクは捕まらない。

 飼い主は気を揉んでいたけれど、この鳥は野生に戻ってしまうのではないだろうか。自由に飛び回れるのは、最大の魅力だろう。

 ミミズクのそばにカラスがいて、「オマエ、どうしたの?」といった風情で、ミミズクを見ていたのが面白かった。人間にはわからないコミュニケーションをとっているように見えた。

 フクロウは30年くらいは生きるらしい。鳥類は全体に長生きなのだそうだ。インコもそのくらい生きるらしい。30年となると、先に飼い主があの世へ行ってしまう可能性もある。

 犬の寿命は短い。大型犬は7~8年、小型犬はうんと長生きしても17~8年だ。素敵な写真がたくさん載ったワンコの本に、犬の唯一の欠点は寿命が短いことだと書いてあった。ああ、ほんとに、この文章は胸にこたえる。

 

 

2019年02月21日

犬の虐待

 飼い犬に殴る蹴るの暴行を働いている動画が、ネットに流れているらしい。行きつけのペットのトリーミング店のオーナーが、動物虐待防止の署名活動をしている。妹と私も、署名した。

 どうしてこんなひどいことができるのか、と思ってしまうけれど、虐待がエスカレートする人には、その人なりの理由があるのだ。怒りや残忍な気持ちをコントロールできなくなるのだ。誰の心にも、残忍性はひそんでいると思う。ただ、自分の中のそういうおぞましい衝動を、みんなひそかに制御しているのだ。制御不能に陥る人は、精神のどこかが病んでいる。病気を治すように、その病んだ部分を健康な状態に戻さなければならない。社会全体が、そういう視線を持って、取り組まなければならないことだと思う。

 最近、見知らぬ人に対して、用心深くなっている。特に男性に対して警戒心が湧く。すれ違いざま、ちょっとぶつかっただけで、凄い形相で怒鳴られるんじゃないかと、思ってしまう自分がいる。

2019年02月20日

新品同様の窯は……

 当然だけれど、買った当時のような焼成ができた。電気窯は、熱を伝えるカンタル線が長年の使用で痩せて細くなり、焼成時間が長くなってしまう。カンタル線が伸び、炉壁に収まっていたのが、はみ出してくる。線のおどりと言う。

 棚板4段で、修理する前は十時間以上かかっていたのが、半分の焼成時間で終わる。うわぐすりもよく溶けている。絵の具の上に透明釉をかけるのだが、以前はうわぐすりにちぢれが出て、めくれ上がったような部分ができたのが、きれいに付いている。釉薬の濃さを工夫したせいかもしれないが、メンテナンス前は濃さの調整をしても、1割程度は失敗が出てしまったのだ。

 窯の状態が良く、きれいに仕上がると、純粋にシアワセです。人生に悩み事は尽きないけれど、曇りのないしあわせな部分が日々の流れの中にあるというのは、本当に幸せです。

 

2019年02月16日

さきがけの花

 近所の公園の梅が咲いた。

 梅は精力が強い。冬の寒気を押しのけて、真っ先に花を開かせる。梅の幹に手のひらをかざすと、かすかだがじんじんとエネルギーのようなものが伝わってくる。ほんのり暖かみを感じることもある。

 寒い中、枯れた景色をほんの少し彩って、白や濃いピンクの花がちらほら見えると、心が弾む。冬の楽しみというものもあるけれど、やっぱり冷気に包まれた暗い季節だし、早く冬から逃れ出たい。

 妹が友達にもらった梅酒の梅が、冷蔵庫にまだいくらか残っている。細かく刻んて、ヨーグルトに混ぜると、すごくおいしい。

 

 

2019年02月14日

 陶芸の電気窯の大々的なメンテナンスを行なった。炉内を入れ替え、電気系統も新しくなった。汚かった外側も、きれいに磨いてくれた。25年くらい前に購入した窯だが、新品同様になった。

 陶芸をやっていると、窯には深い思い入れが湧く。形作りも釉薬がけも絵付けも、焼成に失敗したら、すべてが無駄になる。神経を使って作り上げた物が、醜い物体になってしまう。

 焼きに成功すれば、ときには得も言われぬ色合いが陶器の肌に現れる。絵の具では絶対に表せない色が、焼成によっていくらでも作れる。

 この窯を買ったとき、それはさんざん考えた末に自分で器を焼いてみようと決めたときで、新しい恋人ができたように、心が踊った。恋人に出会うより、もっと嬉しかったかもしれない。窯は、私の夢を実現してくれる、大切なパートナーだったからだ。人は裏切るが、道具は裏切らない。その確かさが、たまらない魅力だ。

 

 

2019年02月13日

ボヘミアンラプソディ

 暮に、いつ終わるかもしれないと焦って、新宿の映画館に駆けつけた。凄い混みようで、オンラインでチケットを買っておけばよかったと後悔した。次の回のが買えて、喫茶店で時間を潰し、とにかく見ました。

 当時はクィーンにさして興味はなかったのだけれど、曲はもちろん知っているし、自分の青春時代の空気感も蘇って、気持ちが巻き込まれた。ラストのコンサートのシーンは圧巻で、テレビの宣伝では最後の20分でボロボロ泣く人がたくさんいるみたいだったが、私は泣きはしなかったけれど、もう20分これを見ていたいと、クィーンのサウンドに浸っていたいと、切に願った。

 不思議な映画だ。見終わってしばらく、曲が頭の中に充満し、一種の中毒症状に陥り、また見たくなるのだ。

 若者に混じって、中高年の人がけっこういた。フレディ・マーキュリーと同年齢かちょっと下の人達。私もその一人。

 あらためてクィーンの曲を聞いてみようと思った。振り返って、彼らの音楽を再発見した。あの熱いサウンド。熱い魂。

 年寄りの愚痴みたいに聞こえるかもしれないけれど、あれほどハートを感じられる音楽が、今の時代にはないように思える。クィーンだけじゃなく、ビートルズやローリング・ストーンズやピンク・フロイドなどなど……。

 インターネットの世の中になってから、何か貴重なものが、人々の営みからごそっと抜け落ちてしまったような……。

2019年02月12日

今日も穴掘り

 樹木は植えてから一年以上経った冬に、木の周りに穴を掘って施肥をする。ジューンベリー、スカイペンシル、キンメツゲ、クライミングローズ、シマトネリコ。今週は冬の施肥をずいぶんやった。木の肥料遣りは、これで完了。

 自分がガーデニングにこれほどのめり込むとは、思ってもみなかった。芝も自分で張ったし、木もずいぶん植えた。レンガを積んで、花壇も作った。

 これは二年前、張った直後の芝の状態。今は、芝は土の部分までびっしりと根を伸ばし、庭全体を覆い尽くしている。

 

 

2019年01月25日

乾燥

 うっかりするとひと月くらい雨が降らないのでは。干上がった大きな河。河床がひび割れている。

 草花の鉢もすぐ乾く。冬はひんぱんに水をやらなくてもいいのだが、今年はそうもいかない。

 母の形見のつくばいに、野良猫が水を飲みに来る。

 

 

2019年01月24日

つるバラ

 冬はバラは休眠期で、根も茎も活動していない。動物が冬眠するみたいなものだ。
 バラは眠りこけているので、枝をバシバシ切っても、根に悪い影響を与えない。この時期に、育たなかった枝を切り落とし、メインの枝をトレリスやフェンスに、見栄えよく這わせる。細い枝は短く切っておく。

 春夏の成長期の枝は固くて、思うように曲げることができない。無理に曲げるとポキっといっちゃいそうだ。冬眠しているバラの枝は、水分が少ないせいか、簡単にたわめることができる。枝は水平に這わせなければならないのだが、気持ちよく思い通りになってくれる。

 寒くなってもかろうじて枝にくっついている葉っぱも、全部取ってしまった。剪定は妙に気分がスカッとする。勢いづいて、やり過ぎたかも。

 

2019年01月23日

冬の間に

 冬の施肥。木の周りに15センチ間隔くらいで小さい穴を掘り、油粕を埋めていく。一本の木に対して、油粕10粒から15粒くらいが目安。今日はジューンベリーとツゲ6本に肥料を施した。つるバラとシマトネリコにもやらなければならないが、くたびれたのでまたの機会に……。と言って遅くとも2月上旬までには終わらせなければならない。栄養たっぷりの土に根が伸び、木々は早春から活動開始だ。

 庭仕事用のダウンジャケットを着込んだせいか、寒さは感じず、空は青く、根気はいったけれど、楽しい時間でした。

 

 

2019年01月22日

バラの植え替え

 冬の庭仕事のひとつ。ミニバラの植え替え。毎年やったほうがいいらしいが、同じ土で二年目に入ったら、とたんに花の付きが悪くなり、雨がちょっとでも降ると、葉がみんな落ちてしまった。やはり、面倒くさがってはダメだのだ。

 鉢いっぱいに根を伸ばしているので、取り出すのにひと苦労だった。固くなった土をシャベルと指でほぐし、根を切らないように注意しながら、そうっと抜いた。今日はベランダで土まみれになった。

 先日、テレビで破傷風の怖さを放映していた。若い女性が、バイト先で泥のついた大量のタマネギを素手で剥いていた。そうした作業が時々あり、ある日、体に異変が起きた。口が笑い顔のように横に広がって開いたまま、閉じることができなくなり、そのあと苦痛が襲ってきた。その人はすぐ医者にかかり、事なきを得たが、死ぬこともあるらしい。

 昔、うちに仕事に来ていた大工さんの息子さんが、古釘が指にささり、消毒もせずにそのまま仕事を続けていたら、夜になって、やはり口が開いたまま、閉じられない症状が出、その晩亡くなった。そんな話をそのテレビを見ながら、妹が喋った。

 なので、ゴム手袋をして、バラの植え替えをしたのだが、バラのトゲで手袋は破れ目ができ、そこからまさか菌は入るまいなどと少し気にしながらの作業でした。

2019年01月20日

ペットのごはん

 犬の餌を質の良いものに変えたので、それまでストックしていた安価なドッグフードの缶詰が、大量に余ってしまった。もったいないから野良猫のマダちゃんにあげようと思ったが、調べてみると、ドッグフードをネコに与えてはいけないことがわかった。

 ドッグフードにはタウリンというアミノ酸が入っていない。犬はタウリンを体内で自然に作れるから、食事で摂取する必要がないのだ。いっぽうネコは、タウリンを体内で生成できず、食事で摂る必要がある。ドッグフードをネコが食べ続けると、タウリンが不足し、眼病などの病気になる恐れがある。

 犬とネコは、同じ四ツ足でも、まったく違う生き物なのですと書いてあった。なるほどね、見た目で判断しちゃいけないのね。

 

2019年01月19日

犬のクツ

 犬のお祓いをしてくれるので、御嶽神社にはワンちゃんがいっぱいいる。ロープウェイの駅のところに、黄色いクツをはいた小型犬がいた。山道は石ころも多いし、ロープウェイから神社までの道のりはけっこうきついから、か細いワンコの足を気遣っているのだろう。

 犬がクツをはくというのは、ちょっと首をかしげる光景でもあるけれど……。

 足首がゴムになっている犬のクツを、脱がせようと引っ張ったら、足にピッタリついていたゴムの下の毛と皮膚が、ベリっと剥がれてしまった、もう長いことお医者さんに通っていると、近所の人が嘆いていた。その人は、フローリングの床で犬が足を滑らせるので、クツを履かせていたのだ。飼い主はいろいろなことを心配し、工夫をする。愛する動物のために、試行錯誤を繰り返す。気持ちはよくわかるよ。

 

2019年01月16日

パリの獣医さん

 図書館で、ふと、見つけた本。日本での出版の日付を見ると、25年前になっている。フランスの著名な獣医師であり動物学者でもある著者のエッセイだ。邦題が、『パリの獣医さん』。

 犬とネコの、さまざまなエピソードがいきいきと描かれ、笑ったり泣いたりしながら、読み終えた。分厚い本だが、内容があまりにも面白く、刺激に満ちているので、本の厚みは苦ではない。

 動物から人間が学ぶ、奥深いもろもろのことについて、著者は繰り返し語っている。私自身、思い当たることが多い。

 日本の法律では、動物は生き物ではなく、物として扱われている。動物を殺すことは、「器物損壊」になる。この認識が、人間の意識の中にまだまだ深く染み渡っているように思える。「パリの獣医さん」は、人は犬やネコを、畑のカブや人参ぐらいにしか思っていないと書いている。だから、いらなくなった野菜を捨てるように、持て余したペットをうっちゃるのだ。

 動物には知能と感情がある。身近に動物がいれば、それは自然にわかる。知能と感情を持っている生き物を、人間は捨てたり殺したりしているのだ。

2019年01月15日

冬の仕事

 冬の庭仕事は、思いのほか忙しい。

 ミニバラの植え替え。つるバラの剪定。樹木にも置き肥をしなければならない。

 冬は植物が休眠するので、枝を切ったり根を多少いじったりしても、影響が少ないのだ。

 庭用のコートを着込んで、寒気の中、働くのは、正直しんどい。手間を惜しまなければ、春になってご褒美が来ると自分を励まし……。
 たしかに植物は、人間の努力にはきちんと応えてくれる。1足す1は2の、すっきりした世界だ。

 ジューンベリーが春にそなえて、もう芽をつけている。裸の木の枝先に、たくさんの芽がついているのを見ると、本当に嬉しくなる。

 

2019年01月13日

芽が出たよ

 ラナンキュラスの球根を植えた。去年、春、花が終わったあとに球根を掘り出し、物置にしまい、初冬に百均で買った鉢に浅く植えた。こんな手間のかかることをする人は、あまりいないらしい。咲いてる鉢を買ったほうが簡単だ。花が終わったら捨てて、次の季節にまた購入すればいいと思いながら、何故か意地になって、朝鮮人参みたいな小さな球根を植える。もし咲けば、お金をかけずにまた花が楽しめるという、いじましい貧乏根性が、心の土壌に根を張っている。

 でもそれだけではないかも。花の時期が過ぎたからといって、根はちゃんと生きているのだ。命をゴミ袋に捨てるのが、なんとなく嫌なのかも。

 

2019年01月11日

御嶽神社

 御嶽神社には、ペットの祈祷をしてくれる場所がある。なので山には犬を連れた人がたくさんいる。ケーブルカーに犬を乗せてもいいのかもしれない。

 東京のどこかにも、ワンニャンのお祓いをしてくれる神社があるそうだ。

 初詣、私達は毎年、深大寺に行く。バスで5~6分の距離だ。深大寺には動物の火葬場があり、大きな供養塔も建っている。今年はうちのかわいいプードルのために、御札を購入した。一度に3つも4つも買っていく人もいる。何匹も飼っているのかしら。

2019年01月10日

ラナンキュラス

 バラと同じくらい好きな花。花芯を幾重にも取り巻く、薄い花びらが豪華。小さいけれど、豪華。これからダンスパーティーに行く少女のスカートみたい。

 これは去年の花。花が終わったあとの球根を掘り出し、夏の間保存して、12月の初めに植えた。親指の爪くらいの、朝鮮人参に似た形の球根だ。植える際、濡れたティッシュペーパーなどに包んで一晩置き、柔らかくしてから植えると、園芸サイトに書いてあったが、面倒なので今年はカラカラに乾いたやつを、そのまま土に押し込んだ。順調に芽を出したので、手抜きでもいいみたい。

 

2019年01月05日

謹賀新年

 あけましておめでとうございます。

 年頭から、エネルギーの静かな高まりを感じます。この手にしっかりと、貴重なものをつかみとりたいと、今年は前を見据えて、地面を踏みしめて歩んでいこうと決意しています。

 目の前のものに真摯に取り組めば、必ず実りがあると信じています。

 

2019年01月04日

犬の服

 犬に服を着せるのは、趣味じゃないのだけれど、もらった服をこの子に着せたら、愛らしくて……。

 ちなみにプードルは、寒さにも暑さにも弱く、毛はすぐに伸びるけれど、アンダーコートがなく、低い気温は体にこたえるらしいです。

 

2018年12月30日

年末

 年賀状を書かないことにしたので、その分暇な年の瀬です。

 年賀状という日本独特の習慣、始まったのはたしか明治時代。もっと古い時代から連綿と続いていたと思っていたので、いささか拍子抜けでした。そんならここらでこの習慣をすたれさせてしまってもいいのでは、と。

 親友がネットから、クリスマスカードをくれました。音楽付きで、きれい♡ 年賀状シリーズもあるので、クリスマスカードのお返しに、年賀状をこれで送ることに……。

 年賀状製作(illustratorとPhotoshopを使って、自分で作る)と宛名書きがなくなったので、空いた時間に『ボヘミアン・ラプソディー』を見に行く。明日、行くんだ。ウレチイ。

 



2018年12月26日

冬を彩る




 木々は葉を落とし、草は枯れ、色の褪せた風景の中で、唯一と言っていい彩りだ。私、この植物がサザンカだと、つい最近知った。どう見ても、椿にしか見えないじゃないの。そういえば、この季節、椿は終わりかけているかしら。椿からバトンを渡されたように、この椿そっくりの花が咲くのだろうか。

 サザンカは「山茶花」と書くが、お茶に関係がある植物だろうか。

2018年12月24日

 注文品の素焼をしようと電気窯のスイッチを入れたら、故障していた。炉内温度を示す針が狂い、数分たつと通電していることを表すランプが消えた。今週の火曜日のこと。いろいろ試し、焼成できないとわかり、メーカーに電話した。ショックと気疲れで、体から力が抜けた。

 窯の内部を取り替えるメンテナンスをすることになり、昨日、メーカーの人が窯を取りに来た。スケジュール上、修理が完了するまで、一ヶ月程度かかるとのこと。注文品の納入には、なんとか間に合うだろう。

 このメーカーの社長さんに、この窯の購入を検討しているとき、会ったことがある。職人気質の一徹な人柄で、陶芸を始めたばかりの、若く頼りない私に、厳しく容赦ない言葉を浴びせた。かなりへこんだことを、今でも覚えている。20年以上前の話だ。
 へこみ、怒り、それでも窯を買い、その後、社長さんの言葉に嘘偽りがないことを知った。陶芸の道は厳しかったからだ。

 昨日、故障した窯を取りに来た若者は、社長さんのお孫さんだった。祖父は10年前に亡くなりましたと、お祖父様とはあまり似ない、柔和な顔立ちの若者は言った。

2018年12月22日

塩害

 紅葉を紹介したサイトの、真っ赤に色づいた写真に惹かれて、友人と鎌倉へ。ホームページには、今年は夏の暴風雨で、木々に塩害が起こり、紅葉
は例年の美しさが期待できないと、書いてあった。掲載の写真は去年のものですと、断わり書きが添えてあった。
 少しぐらい色褪せていても、紅葉は楽しめるだろうとたかをくくって、日々の煩い事から開放された私たちは、足取りも軽く……。

 しかし、塩害は半端じゃなかった。多くのカエデやモミジの葉が、薄茶色のチリチリに縮れた葉をくっつけ、境内も寺を囲む森や山も、茶色にくすんでいた。それでも塩害を免れた木は何本かあり、撮った写真を並べれば、平和な秋の風景に見える。

 

 

2018年12月11日

水道

 水道事業が、半分民営化する。間違いなく、水道料金が上がるだろう。
 水が高くなると、いろいろなものが値上げされると思う。さまざまな業種で水を大量に使うから、外でご飯を食べても、お酒を飲んでも、医者にかかっても、日々の食料品を買っても、温泉に行っても、服をクリーニングに出しても、財布から出ていくお金は確実に多くなるだろう。

 消費税が上がり、物価が上がり、みんなの財布のヒモは固くならざるを得ない。またまた不況に逆戻りだ。

 安い賃金で外国人を働かせる法案も通ろうとしている。不況になったら、人手不足に悩むこともなくなるのでは、と思う。日本人も外国人も、お給料は安いままで、高い物価に首を締められる思いで、皆暮らすのだ。

 野党に政治を司る力がないから、政治の均衡は取れず、政治家には何一つ期待できない。暗澹たる未来が待っている。

2018年11月28日

動物病院

 引き取った保護犬の歯茎に穴があいていて、うちに来る前にボランティアさんが医者に見せ、口腔手術を施した。しかし縫合した箇所が癒着せず、再び穴があいてしまった。
 うちから比較的近い場所に、東大獣医学科卒の、優秀だという評判の獣医師がいて、その動物病院にかかっている。歯茎の手術は難しく、技術の高い医者でないと、このたびのように縫合が破れてしまうらしい。

 初め、ある人から別の病院を紹介された。そこの先生は外科手術では日本で一番だと言われた。費用もなかなかで、保険診療で15万、保険を使わなければ30万だ。金額と、その病院が遠く、術後の通院が大変なので、今の病院を選んだ。

 獣医さんに見せたら、即手術ということになった。妹がどのくらいお金を用意すればいいかと、恐る恐る聞いたら、手術と一日の入院費で、7万かもうちょっとかかるかもしれないと言われ、内心胸をなでおろした。

 それにしても、病院によって、どうしてこんなにも医療費が違うのだろう。

2018年11月26日

犬の食事

 ブリーダーにひどい飼い方をされていたので、とにかく栄養をつけなければと、ドッグフードを工夫した。ミルと名付けたトイ・プードルは、今、穀物の入っていない、ほとんどが肉のフードを食べている。ほとんどが、と言うのは、肉の他に少量の果物が入っているからだ。

 このフードは、野生動物の生態をもとに作られている。犬は言うまでもなく肉食動物だ。肉食動物は草食動物を捕らえて食べるが、その時、肉だけでなく、内臓も食べる。草食動物の胃には、草や木の実が消化されない状態で残っていることがあり、肉食動物は獲物の胃も食べるから、少量の草や木の実も体内に入れることになる。その状態を考慮して、このフードは作られている。

 ドッグフードの研究が進んでいるのだと感心する。ちなみにこのフードは外国製だ。

 スーパーで売られている缶詰のご飯を与えていたときより、ミルの食いつきはいい。栄養価が高いので、スーパーの缶詰より量を少なくしているが、あっという間に食べ終えて、まだ欲しそうにウロウロしている。もっとあげたくなるけれど、過剰に与えるのは良くないらしい。

2018年11月24日

保護犬

 保護犬を飼い始めたら、保護犬のボランティアをしている人が、私の身近にもいることがわかった。一人は定期的に飲み会を開いている仲間で、もう一人はうちの近所に住んでいる人だ。

 今までペットショップで犬を購入していたが、今度は保護犬を飼ったという人もけっこういる。人々の間で、保護ペットへの関心が高まっているのだ。

 金曜日のナイトドラマ、「ボクとしっぽと神楽坂」という若い獣医師のドラマでも、よんどころない事情で捨てられた犬や、飼い主が亡くなってしまった猫や、ブリーダーの繁殖犬だった犬が登場する。動物の殺処分は、社会問題化しつつあるのかもしれない。

 ドイツではペット業界への規制が厳しく、ブリーダーが犬に仔を産ませる回数が制限されていたり、そもそも店で動物を販売するということがないらしい。生命を尊重する姿勢は、その国の文化だと思う。日本には文化が根付いていないように思える。

2018年11月23日

ペット産業

 保護犬ボランティアの人と話をしたおかげで、ペット業界の裏側を知った。恐ろしい話が、次々と出てきた。

 東京都と神奈川県が、犬と猫の殺処分がゼロになったと発表した。しかし実態は、他の県に連れて行き、殺している。

 売れない子犬を山に放置する。人間に育てられた子犬は自力で生きていくことができないから、間もなく死ぬ。生き埋めにすることもある。

 あるいは、生きたまま冷凍庫に入れて、凍死させる。

2018年11月22日

野良

 未熟児の野良ネコに餌をやり続けて、一年以上たつ。痩せて、小さくて、薄闇が漂う道を、とぼとぼとおぼつかない足取りで歩いていた。孤独な姿だった。

 今では、むっちりと肥え、冬毛のせいでさらに膨らんで見え、中年太りが始まったオバサンのようだ。ネコのために庭に置いた犬小屋で、雨宿りしたり、ご飯を待ちながらくつろいだり、こんこんと眠っていたりする。警戒心が強く、手を差し出すと怯えて後ずさりするから、見事な毛並を撫でることもできないが、私たちは勝手に名前をつけ、うちのコだと思い込んでいる。

 アメリカンショートヘアとなにかの合いの子で、黒と灰色のまだら模様はゴージャスだ。

 近所に野良ネコの避妊手術や野良の子猫の譲渡会を開いているボランティアの人がいて、この子も割安で避妊手術をしてもらった。調布市では、申請すれば、野良ネコの避妊手術の費用を上限2万円まで援助してくれる。ただし援助が受けられるのは、当該年度の手術で、この制度を知ったのは手術の翌年だったので、諦めるしかなかった。

2018年11月14日

幽霊

 人間が道を歩くのに混じって、霊も浮遊していると言った人がいる。生身の人間が知らないで霊の体(?)を通り抜けているとか……。ホントかな? 別に怖がらせるためにそんなことを言っているのではないと思うから、その人の目にはそう見えるのだろう。

 幽霊は、どうして怖いのだろう。死は、どうして不気味なのだろう。

 死が不気味なのは、死体が気持ち悪いからだ。人間も動物も、生命が途絶えた肉体は、受け入れ難い恐ろしさを持った物体でしかない。死が不気味だから、幽霊も不気味で怖いのだろう。

 なぜこんなことを考えるかというと、いずれ私も死んで霊になるからだ。幽霊になってしばらくこの地上をウロウロするのかもしれないし、思いきりよく空のかなたに飛んでいってしまうのかもしれないが、確実に私も霊になるのだ。
 霊になると、どんな気分なのか、どんな感じがするのかと、妙にリアルに考えることがある。

 輪廻転生を信じるならば、(私は信じているけれど)、霊になるとどんな感じで、あの世はどういうものなのか、私は本当は知っていることになる。さんざんあの世で過ごして、それからこの世に生まれ出たのだから、あの世のことはようく知っているはずだ。しかし生きている人間には、あの世の記憶はない。

 何なんだろうね、人間って。

 自分が霊になったとき、生きている人間から怖がられたくないなあ、と思う。

2018年08月10日

新潟のとある宿で……

 友人のK子、T子と温泉宿に泊った晩のこと。

 夕飯のあと、部屋で酒盛りをして、いい気分で布団に入った。

 旅の疲れも出て、爆睡した眠りが、少し浅くなり始めた頃だろう。ふいに誰かが私の顔を覗き込んだ。前髪を切り揃えた、おかっぱ頭の小さな女の子だ。子供用の丹前のような着物を着て、両袖を胸の前できちんと合わせて、近々と私の顔を覗き込んでいる。「この人は、だあれ?」といった感じの表情をして。
 夢うつつがほんの少し冷めかけた頭で、私はK子がイタズラをしているのだろうと思った。この部屋に子供がいるわけはないから、ボブ風の髪型をしたK子が私をからかっているのだろうと思ったのだ。馬鹿ねえと頭の隅でつぶやきながら、私はまた眠りに落ちた。

 朝になり、昨夜の酒盛りのあとを片付けながら、私はK子に言った。
「ゆうべさあ、K 子、あたしの顔を覗いたでしょ。すごく顔近づけて、しばらく私を見てたでしょ。あたし、わかってたんだから。すぐにまた寝ちゃったけど、気づいてだんだから」
「……?」
「とぼけたってだめだよーだ。なんか悪戯しようと思ったんでしょ」
 あたしはゆうべは布団から一回も出なかったよと、K子は真顔で言った。トイレにも起たずに寝てたよ。
「だいたい、なんであたしがそんなマネしなきゃなんないのよ……」
 笑いながら言った語尾が、急にしんみりする。間を置いて、何かを思いついたという表情で、K子は言った。
「あのね、怖がらせたくないから言わなかったけど。ゆうべね、夜中に目が覚めて、トイレに行っておこうかと思って起き上がったら、部屋の中に女の子がいたの。窓からの月明かりで、見えたの。昔風の子で、おかっぱ頭で着物を着て、そのへん(とテレビの前あたりを指さした)に立ってたの。びっくりしたけど、あまり怖くはなかったわ。これってよく言う座敷わらしみたいなものかと思って……。でもさすがにトイレに立つ勇気はなかったわ。あたしがおろおろしているうちにいなくなっちゃったけど……。
 私は息がつまりそうになった。それから夢中で言った。

 私の顔を覗いたのは、その子よ!

 

2018年08月05日

オパールの部屋・・・石

 有楽町の国際フォーラムの中庭に、彫刻家、安田侃の作品があります。すべすべした、真っ白な、巨大な石です。ひたすら磨き上げて、この心地よい滑らかさを作り出したのでしょうか。
 安田侃さんは北海道の出身で、北海道には安田さんの作品がたくさんあります。アルテピアッツァ美唄は古い小学校の建物を利用した安田侃の美術館で、周辺の森や芝生の広場にも、大きな作品が点在しています。その他、札幌市内にも、あちこちに作品が置かれています。
 安田さんの作品は、とても不思議な雰囲気を持っています。何トンもある巨大な石なのに、ある晩、皆が寝静まったその隙に、それはふっと天から舞い降りてきたに違いない……。あるいは、年に数ミリずつ、この石はひとりでに移動していて、十年くらいたったときに、あれっ、この石、前に見たときと位置が違うよ、と誰かが気づいて、ゾワーっとする……。そんな想像が湧いてしまいます。硬い石なのに、どう考えても中に生命体がいるような。
 うろうろ石の周りを歩き、ベタベタ触って、その滑らかな感触を楽しんでいるうちに、いつの間にか安田ワールドに包まれているのです。

2018年06月25日