コラム一覧

自然と人間 Ⅰ

 2020年が半分過ぎ、7月に入った。新型コロナウイルスの感染者数は、7月に入ってから急上昇し、軒並み100人を超えている。今までのところ、最多は131人だ。

 九州は梅雨前線の雨量が予想をはるかに超え、線状降水帯が発生して、同じ場所に大量の雨を降らせている。熊本では球磨川が氾濫し、堤防が決壊した。人家が2階まで水に浸かり、流された家もある。自動車は水に浮き、水が引いたあと、車が縦になったままだったり、重なり合ったりしている。浸水した老人ホームでは、お年寄りや職員が、顎まで水に浸かった状態で、4時間以上も救助を待ったそうだ。亡くなった人、行方不明の人が大勢いる。

 これは台風ではなく、梅雨前線だ。昔の梅雨と今の梅雨は、まるで様相が違う。

 毎年、極端な量の雨が降り、屋根を吹き飛ばすほどの突風が吹く。ここ10年くらいの間に、いろいろなタイプのウイルスが出現している。人間を脅かすこれらの現象の根はひとつで、人間の活動が自然のシステムを壊しているのだ。

 コロナは序の口で、今後、もっと深刻なパンデミックが起きると、学者は言う。

 人間がこれから先、無事に生き延びるためには、自然のメカニズムについて理解を深め、自分達の生活を、自然のシステムにうまく組み込んでいかなければならない。

 人類はこれまでずっと、人間は自然を支配できると考えてきた。自然というものを、よく知りもしないで、大なたをふるい、自然を切り刻んできた。山を切り崩し、森を潰し、海に土砂を入れ、大地をコンクリートやアスファルトで覆った。

 山と森と大地と海と空の関係、すべての自然が、無数の歯車の組み合わせで動いている巨大な機械のように、精密に連携して成り立っていることに、人間はまったく気付かなかった。一つの歯車を壊せば、それに連なる歯車は次々に、今までとは違う動き方をし、その連鎖が全体の動きを狂わせる。それが今直面している地球の自然の姿だ。

 自然を守ることは、文明が後退することと考える人がいる。昔のような自然を取り戻すには、明治時代や江戸時代のような暮らしに逆戻りするとイメージするようだ。たしかに、コロナ禍のために経済封鎖をしたら、都市の大気はきれいになった。工場を止め、車をなくしたら、自然は案外早くもとに戻るかもしれない。

 現在の生活を維持するには、自然を犠牲にしなければならない。しかし自然を犠牲にし続けた結果、人間がこの先生き延びるのが非常に難しくなるかもしれないというところまで、状態は悪化した。だからといって築き上げてきた文明を捨て、昔のスタイルに戻ることはできない。

 自然エネルギーの活用とか、少ない電力で最大の効果を上げる工夫とか、無駄な電力消費を見直すとか、本気で取り組めば、いろいろな方法が見つかるのではないだろうか。

 たとえば、都会の夜のネオンを一切やめたら、どのくらいの電力量が浮くのだろう。ネオンがなくなったら居酒屋やバーが潰れるから、これはまずいが、しかし夜の街にびっしりと輝くネオンを眺めると、これでいいのだろうかと思ってしまう。宇宙から地球の夜の部分を撮影した映像を見ると、間違った道を歩んでいるような気がしてくる。

 コロナのためにテレワークが始まり、在宅ワークが定着しつつある。テレワークが可能な人の中には、脱都会を考える人がいる。コロナははからずも、人々の働く意識を変えた。都市型の生活スタイルが減り、自然の豊かさを味わいつつ、仕事をする人が増えたら、現在の大都市の在り方が変わるだろう。東京は人口が減り、ネオン街もオフィスビルも減り、かわりに公園が増えるかもしれない。緑化が進めば、東京の空気も気候も変わる。

 コロナ対策が働き方の意識を変えたように、自然を守りながら経済活動を続ける方法を模索していったら、人々の意識が、また変わるかもしれない。人々の意識改革が起きれば、自然のシステムに沿った形で経済を回していくことができるのではないだろうか。どのみち、このように考え、進むしか、道はないのだ。今のまま行けば、地球の自然は狂い続け、やがて人が住めなくなるだろうから。

    

 

2020年07月06日

自然と人間

 世界はこれまでも今も、経済優先の考えで動いている。自然保護の思想や活動は、世界の大きな潮流の中では軽視されている。コロナ騒ぎが起きる前、海外では10代、20代の若者を中心に、地球温暖化阻止を訴えるデモが広がっていた。スウェーデンの女子高生が先頭に立って、地球の危機を訴え、トランプ大統領は、学校に戻って経済を勉強しろと言い放った。ビジネスに奔走する多くの大人達が、自然保護でメシは食えないと言わんばかりに、少女をあざ笑った。

 若者たちは必死なのだ。自分達が大人になったとき、地球がどんな状態になっているか。現在の異常な自然現象が今後も続き、さらに深刻化することを考えると、自分の将来に大きな不安を覚えてしまうのだ。若者たちにとって、自然保護は思想や観念ではなく、自然の暴走が自分の生活のうえにのしかかるという、リアルな現実なのだ。

 このリアルな恐怖感は、人生の半ばか大半をすでに過ごしてきた大人達にはわからないだろう。

 人類がこの地球に誕生してから今まで、人間はずっと自然を軽視してきたのだと思う。山が崩れたり、津波が来たりと、大災害が起きたとき、古代人は自然の中に神を見出し、畏怖し、祀ったりしたが、喉元過ぎれば、やりたい放題を繰り返してきた。

 現代人は海山をゴミだらけにし、大気を汚し、オゾン層に穴をあけ、宇宙開発で、地球の周囲の宇宙空間にさまざまな機材の破片をばらまいている。

 なぜこんな節操のない行為を続けられるかと言えば、人類は自然というものを、根本の部分から理解していないからだと思う。自然はあまりにも大きく、人間はその小さな一部分に過ぎない。アリが目の前にそびえ立つ人体を理解できないように、自然は人間の脳が把握するには巨大すぎるのかもしれない。けれども、数千年にわたる経験と知識の集積の結果、人間は自然のメカニズムについて、ずいぶん理解を深めたと思う。

 今、世界のあちこちで、前代未聞の異常な自然現象が起きている。北極圏シベリアの町、ベルホヤンスクで、6月の気温が38度に達した。人々は水着で海水浴をしている。中国では6月に入ってから大雨が続き、気象台は28日連続で豪雨の警告を出している。湖北省では大洪水が起き、四川省では大規模な山崩れが発生した。車も家も流され、橋は崩落し、被災者は1300万人に上っている。ダムが決壊する恐れもあるという。

 近年、頻発している大災害と、コロナ・パンデミックは、無縁のものではなく、同じ根から発生した現象と考えたほうがいいと思う。

 新型インフルエンザやSARS、MARS、コロナと、ここ10年ちょっとの間に、いろいろなウイルスが発生している。ウイルスの発生は、森林伐採や土地開発など、人間の経済活動が、これまで手つかずの自然が保たれていた野生の部分に、どんどん食い入っていったために起こったものだという。

 細菌やウイルスは、もともと自然界に存在している。人間が天然資源の採掘や農地開拓などのために、森を切り開いた結果、そこに生息していた野生動物が住処を追われ、人間の生活圏に出没するようになった。それらの動物達に寄生していたウイルスが家畜にうつり、人間が感染した。それまで別々に保たれていた野生の世界と人間の生活の境界があいまいになったことが、ウイルス感染がたびたび起きる原因だという。

 より良い暮らしと科学技術の進歩。文明の発展のために、人間は自然を破壊し続けた。自然について無知だったために、平気で壊すことができた。

 今、世界はウイルスと異常気象に苦しんでいる。自然のシステムを壊すとどういうことが起きるのかを、目の当たりにしている。環境破壊は、経済活動に奔走する大人達にはピンとこなかったかもしれないが、コロナによる経済の失速は、大人達の心をへし折るのに十分だ。

 世界中の人々、一人ひとりが、価値ある人生を送るために、私達は自然についてもっと学ばなければならない。自然のシステムにのっとって経済活動を続ける方法を、見つけなければならない。 

 

2020年06月29日

コロナ禍Ⅰ

 多くの国が都市封鎖をしていた、3月から4月にかけて、世界の大気汚染はめざましく改善された。ヨーロッパでは、ロックダウンの結果、温室効果ガスが約25パーセント減少した。

 ひどい大気汚染が続いている中国では、大都市の空気がきれいになり、大気汚染が原因の病気が減った。データによると数万人規模の人々の命が救われた。コロナで人は死んだが、コロナで助かった命も多い。

 ロックダウン前と、ロックダウンが始まってからの、タージマハールの写真が、テレビで紹介されていた。都市封鎖前のタージマハールは、薄い靄に取り巻かれたようだが、皆が家に閉じこもってからのタージマハールは、透明な大気の中に、美しい姿を余すところなく見せている。

 二酸化炭素の排出による温暖化と異常気象を改善することは、不可能に近いと諦めていた。今回のコロナ騒ぎで、地球の自然を正常な状態に戻すことへの希望が湧いてきた。工場をストップし、車を走らせなくしたら、たった2ヶ月やそこらで、大気は格段にきれいになったのだ。このことは、深い驚きだった。

 もちろん、自然環境を守るために経済を止めることはできない。しかし、これまで通りの経済活動を続けていたら、南極、北極の氷は溶け、シベリアの永久凍土も溶け、気象はさらに狂い、未知のウイルスが再び蔓延する。自然を破壊せずに仕事をする新しい道を、切り開いていかなければならない。

 ウイルスは、人口が増えて、人間の生活圏が自然を侵食した結果、人間の生活の中に現れるものらしい。また、永久凍土の中には、動物の死骸に混じってさまざまな細菌やウイルスが、封じ込められているという。凍土が溶け始めれば、それとともにいろいろな細菌やウイルスが地表に出てくる。

 今まで人類は、自然と向き合おうとしなかった。真摯な姿勢で、自然を知ろうとしなかった。経済のために自然を壊し続け、それを生きるための当然の権利のように思ってきた。その生き方がもはや通用しないことを、コロナは気付かせてくれている。

2020年06月28日

コロナ禍

 感染症は、キリストの時代からあるらしい。人類は繰り返し、細菌やウイルスと闘ってきたのだそうだ。

 感染症は、社会を変えるきっかけになったこともある。中世ヨーロッパでペストが大流行したあと、それまで貴族の奴隷のような立場だった農民が、権利を獲得した。ペストが世の中を変えた。

 今、コロナが世界中に拡がり、その中でなんとか経済活動を続けていかなければならない必然から、テレワークが始まった。3ヶ月あまりの間に、テレワークは部分的にせよ、定着しつつある。

 お菓子のカルビーは、7月以降も無期限でテレワークを実施すると発表した。オフィス勤務の社員は原則、テレワークとし、業務に支障が出なければ、単身赴任をやめ、家族と同居できるようにするという。定期券の交通費支給をやめ、出社した日数の交通費支給にするほか、在宅ワークで必要な経費の補助もする。

 働き方を切り替えたのは、テレワークで仕事の効率化が進んだことと、全社員の6割以上が、コロナ以前の働き方に戻りたくないという考えがあったからだという。

 テレワークが可能な人の中に、新しい生活スタイルを模索している人は多い。千葉の海辺に引っ越しをし、仕事の合間に海辺の散策、採れたての魚介を堪能と、夢の暮らしが実現したと語る人がいる。東京から北海道の実家の近くに移住し、仕事をしながらのびのびと子育てをする女性がいる。我社は日本中どこにいても入社できますと語る社長がいる。本社オフィスをコンパクトにし、事務所の賃貸料を減らした経営者がいる。コロナは深刻な禍だけれど、これによって社会が劇的に変わってきた。それはもう、感動的なほどだ。

2020年06月26日

漆塗りの神輿

 金沢の街なかに、加賀藩の藩祖、前田利家と正室、お松の方を祀った神社がある。一風変わった門を持つ、尾山神社だ。この神門は明治時代に建てられたものなのだろうか。西洋風と中国風がミックスされたような建築で、最上階になんと、ステンドグラスがはまっている。エキゾチックな美しい門だ。

 本殿は黒い瓦屋根の立派な造りで、お参りをして傍らを見ると、輪島塗りの美しい神輿が鎮座していた。黒光りする神輿は、これまで見たどの神輿よりも、気品と清潔感があった。

 

 

 

2019年06月15日

飴細工

 金沢の武家屋敷が残る町で、圧倒的なスケールの飴細工を見た。

 昔の薬屋の建物をそのまま記念館にし、一階には時代劇に出てくるような薬屋の店構えを展示し、二階には当時のさまざまな職業について、パネルや実際に使われていた道具類を並べて、わかりやすく解説する部屋がある。二階の一角にこの地方独特の婚礼を紹介するコーナーがあり、、水引で作った見事な結納の品や、花のれんと呼ばれる華やかな絵柄の大きな暖簾が飾られている。豪華な婚礼の道具類に目をみはり、ふと振り返ったら、縦2メートル、横3メートルはあろうかという、大きな造花が目に入った。桜か桃か、見事な枝振りに無数の花が咲いている。傍らの英語の説明文を見て、candyの文字に驚き、日本語の説明文に目を移すと、飴細工と書いてあった。

 友達としげしげ見入ってしまった。がっちりした枝も、華奢な花びらや柔らかそうな葉も、飴で作られているとはとても思えない。一見の価値のある作品だった。

2019年06月12日

金沢の旅

 正直言って、大きな期待を抱かずに行った。温泉に入ってのんびりできればいいという程度の気持ちで、予備知識もあまりなかった。それがかえって良かったのかもしれない。金沢は古都という呼称にふさわしく、しっとりした味わい深い街だったし、美味しいものがたくさんある場所だった。能登半島にも行ったので、金沢は駆け足で回った感じだ。また行きたい。今度はもっとじっくりと、時間をかけて歩き回りたい。

 能登半島にも、もう一度行きたい。祭りを見に行くとか、七尾市で芸術祭をやっているので、それを見に行くとか、無名塾の劇場に足を運ぶとか。明確な目的を持って、能登を旅したい。

2019年06月06日

鏑木商舗

 長町武家屋敷跡を散策していたら、古風な門構えのお店を見つけた。ティールームの看板が出ているので、休憩に入ったら、そこは江戸時代から続く瀬戸物屋さんだった。むろん扱っているのは、すべて九谷焼だ。千円、二千円の食器から、数十万する香炉まで、実にさまざまな九谷焼が、古い木造の建物の中に、ところ狭しと並んでいる。

 玄関で靴を脱いで上がる。六畳間、八畳間といった広さの部屋の襖をすべて取り払い、商品を並べている。昔の家の造りを、敢えてそのまま残していると思えた。

 目を引いたのは、ワイングラスの台の部分が九谷焼になっている、美しいグラス類だ。これは以前、テレビ番組が取り上げたことがあり、偶然それを見ていたので、思いがけず実物に出会えたのは嬉しかった。そしてなんと、共に旅をしている友人が、そのグラスをプレゼントしてくれたのだ。

 家に帰って飾ったら、もうひとつ欲しくなった。ネット販売もしているのだ。高価な物だから、せっせと働いてお金がたまったら買おう。

 

 

2019年06月05日

石川県立美術館

 兼六園の近くにある。一階におしゃれなティールームがあり、休憩を兼ねて立ち寄った。

 二階が展示室になっている。

 入り口近くの小部屋に、野々村仁清の雉の香炉が二点、飾ってある。一つは国宝、もう一つは重要文化財。そういう予備知識がなくても、ひと目見ただけで、心を奪われる作品だ。美というものは、際限もなく奥が深いものだということを、つくづく感じる。この二点を見るだけでも、ここに来る価値がある。

 陶芸のコレクションも素晴らしく、ずらりと並んだ古九谷の大皿は圧巻だ。皿の全面にベッタリと絵を描く古九谷は、それまであまり好きではなかったのだが、このコレクションを見て、考えが変わった。大皿に描かれた絵柄の躍動感、力強さは、半端なものではない。強烈な輝きと気迫が、作品の底のほうから発散されていて、そのエネルギーにいつまでも触れていたくなる。

 抹茶茶碗のコレクションも名品揃いだ。奥のほうに展示されていた黒の楽茶碗が、目が離せなくなるほど魅力的だった。

2019年06月04日

軍艦島

 世界遺産の軍艦島ではなく、能登半島の東側に位置する見附島のことです。形が軍艦に似ているところから、この名前でも呼ばれています。

 実際に見ると、海の上に唐突に現れたという感じで、きれいですが、不思議な気分になります。小さな島ですが、高さは相当にあり、サイトで見たら30メートルとのことでした。日本海のしっとりした青と、そそりたつ島の白い崖のコントラストが美しく、なんとも魅力的な風景です。もう一度訪れたい場所のひとつです。

 空海の幻想的な伝説があります。

 

 

 

 

2019年06月03日

珠洲焼

 今回の旅は、多くの焼物に触れた。金沢では思いきり九谷焼を味わい、能登半島では、今まで知らなかった珠洲焼に出会った。

 珠洲焼は平安から鎌倉時代にかけて隆盛を極めたが、その後、忽然と姿を消した。なぜ消えてしまったのかはわからない。1970年代になって、珠洲市が復興に努め、今ではモダンなデザインの花瓶や食器がたくさん作られている。

 独特の黒い土が特徴で、うわぐすりをかけない焼き締めが、黒い土の美しさを余すところなく現している。梅や桜の枝などを無造作に活けたら、素敵だろう。花の色をより美しく際立たせるような土の色だ。

2019年05月29日

塩田

 能登半島の珠洲市には、昔ながらのやり方で塩を作っているところが、いくつかある。塩水を煮る小屋の脇に、平らにならした砂地があり、ここにポンプで海水を汲み上げて撒く。ポンプが登場する前は、桶に海水を汲み、海と塩田を何度も往復した。

 能楽に、「松風」という曲目がある。松風、村雨という汐汲みの若い姉妹が、在原業平(だったかな?)に恋をするという物語だ。美しく、せつない恋物語だが、実際の塩作りを知ると、見方がいささか変わる。可憐な姉妹と、汐汲みの過酷な作業が、どうもマッチしない。この姉妹、顔は可愛くても、体はたくましかったに違いない。腕には力こぶができ、鍛え上げた足腰は、どっしりしていただろう。

 珠洲市の塩はネット販売もしていて、天然塩は注目されている。家に戻って、この塩でおにぎりを作ったが、同じお米なのに、ご飯の味が違った。米の甘みを際立たせる塩だ。

2019年05月27日

輪島の千枚田

 能登半島では、おいしいお米もとれる。斜面をこんなふうに、コツコツ耕し、少しでも土地を活用しようと頑張った結果、こんなに美しい風景が出現した。漆芸や、加賀友禅、九谷焼など、手間暇かけて作り上げる工芸品と共通したものを感じる。

 敢えて美を生み出そうとしなくても、精魂込めた努力は、美しいものを作り出すのだ。人の生き方も同じかもしれない。誠意と情熱をもって生きている人は、素敵だ。

 

 海の色が美しい。太平洋の明るいブルーとはひと味もふた味も違う、いくつかの種類の青が混ざった、複雑な色だ。人の心の中のさまざまな思いも、海の水に溶け込んでいるような、そんなことを思わせる海でした。

 

 

 

 

2019年05月26日

輪島塗り

 有名な輪島の朝市が開かれる通りの近くに、輪島塗の逸品を売っている輪島塗り会館がある。二階は輪島塗りの工程を説明する展示室になっている。広い店内には、目のさめるような、美しい作品が並んでいる。伝統的な絵柄のもの、モダンなもの、椀や盆の他に花瓶などもある。花瓶だけれど、花を活けずに飾ってもよさそう。

 細い線でこまやかに描かれた模様が見事だが、やはり漆の奥深い色が、強く心に飛び込んでくる。技術を磨き、手間を惜しまなければ、秀逸な物が出来るのだと、改めて思う。美しい物を眺めて暮せば、自分の美意識も磨かれる。

2019年05月23日

キリコ

 キリコ会館では、能登半島のあちこちで行われる祭りのビデオも流している。神輿ごと川に飛び込んだり、神輿が暴れまわって横倒しになったり、神輿に火をつけるというのもあったかな? 豪快を通り越して、乱暴狼藉の限りを尽くすという感じだ。

 それらの神輿の先陣を切って、これらのキリコが登場するのだろう。その有様を想像すると、よそ者の私の血も湧いてくる。

 

 

 

 

2019年05月22日

能登の祭り

 写真は、能登の祭りで使われる御神燈です。高さ4メートルはあろうかという大きなもので、神輿のように下部に担ぐための棒があり、男達が担いで神輿の前を練り歩きます。この独特な御神燈は、キリコと呼ばれています。

 輪島のキリコ会館に、この御神燈がたくさん展示されています。江戸時代のものもあり、それは今は使われていませんが、現在使用されているものよりずっと大きく、重さもありそうです。キリコのサイズが少し小さくなったのは、電線にひっかかるからだとか。ちょっと残念ですね。

 

 

2019年05月20日

和倉温泉

 金沢から特急で約1時間。能登半島の付け根に位置する、静かな温泉地だ。さほど広くない温泉街は、連休が終わったせいか、人はまばらで、都会の喧騒を逃れて心身を休めるには、絶好の場所と思えた。加賀屋など由緒ある旅館が並んでいるが、土産物屋は少なく、ひなびた風情が漂う。

 泊まった宿は、加賀屋グループの虹と海というホテルで、白を基調にしたモダンな造りになっている。加賀屋旅館の若い人向けリーズナブル版といったところ。

 部屋に入ってみてわかったのだが、窓からのぞくと、このホテルも隣のホテルも、海に面した部分は、海中に杭を打ち、海にせり出して建てられている。泊まった部屋は14階だったが、窓の真下は海面で、ゆらゆらと動く水を眺めていると、船に乗っているような気分になる。船酔いしそうな感じだ。

 カモメや小さい海鳥が飛び交うのを眺めながら、露天風呂に浸かる。ああ、これ以上の贅沢があるだろうか!

2019年05月19日

お茶屋美術館

 ひがし茶屋町にある。文政3年に建てられたお茶屋を、当時のままに残し、芸妓さんたちが使っていた簪や化粧道具、酒器類などが豊富に展示してある。

 簪はどれも繊細な作りで、見飽きない。化粧道具は興味深いし、九谷焼の徳利や盃は、ため息が出るほどだ。

 二階が座敷になっていて、壁が鮮やかな紅色の部屋と、それとは対照的な群青色の部屋がある。紅は弁柄、青はラピスラズリの粉が使われている。火鉢には螺鈿のような装飾が施され、襖の引手は一般家庭では見ない、可憐な形に作られている。

 眺めているだけで、おしろいの匂いが漂ってくるような、なまめかしさがあり、同時に心の底にずんと響く凄みがある。この凄みは何だろう。お茶屋という商売の、世間に立ち向かっていく凄み、残酷な世間に負けまいと、冷淡な世間をいっそこちらが呑み込んでやろうとしているような、凄み……。

 このお茶屋の過去に、ふっと引きずり込まれ、のめり込む自分がいる。

 

 

2019年05月18日

もうひとつの茶屋町

 ひがし茶屋町から川を渡ったところに、主計(かずえ)町茶屋町がある。ひがし茶屋町はお茶屋の建物をお店にして、観光地になっているが、主計町茶屋町は、現役のお茶屋さんが並び、夜になると三味線の音が漏れ聞こえたりするそうだ。私達が訪れたのは昼間なので、真昼の茶屋町は太陽の下、眠ったように静まり返っていた。

 こちらはひがし茶屋町に比べると小さな区画で、浅野川に沿って、お茶屋さんが並んでいる。旅館もある。こういう旅館に泊まったら、どんな気分がするのだろうと思いながら、足の向くまま、好奇心の赴くままに散策を続けた。

 

 

2019年05月17日

ひがし茶屋町

 金沢に3つある茶屋町のひとつ。写真のような道が何本も通り、昔お茶屋さんだった建物が、さまざまなお店に改造されて、観光客を集めている。茶屋町に一歩足を踏み込むと、文字通りタイムスリップしたようだ。ショウウィンドウがないので、一見、お店とはわからず、古い建物が連なる路地には、しんと静まり返った空気が漂っている。

 骨董品の店や現代作家の作品を集めた店が点在し、町を一巡するだけで、金沢のさまざまな工芸品を見ることができる。あれも見たい、これも見たいと、歩き回って足が棒になる。

 休憩に入ったのは、森八という和菓子の老舗がやっている喫茶店。二坪ぐらいの涼しげな中庭を眺めながら、抹茶のアイスティーと、食べるのがもったいないような、綺麗な和菓子をいただく。練りきりの桃色が、目に優しい。

 

 

2019年05月15日

加賀料理

 兼六園のお茶屋さんでの昼食。治部煮、鯛のお刺身を昆布でシメたもの、前菜、一口大の麩まんじゅう、等々。どれも美味しい。お酒を少し頂いて、池を眺めながら、ゆったりとした時を過ごした。

 お昼ご飯のあと、手入れの行き届いた庭を散歩。広くて、全部は回れない。加賀藩の何代目かの殿様が植えた松を見て、石川県立美術館の方の出口をめざす。古九谷のお皿が見たいので。

 高々と聳える松は、加賀藩の力を象徴しているようだ。

 

 

2019年05月14日

金沢

 仲の良い友達が金沢の出身で、いつかは行ってみたいと思っていた。あまり予備知識のない、大雑把な予定しか立ててない旅だったけれど、見るものすべてが奥が深く、美しく、金沢の文化の層の厚さをしみじみ感じた。豊かな海の幸に恵まれた、洗練された食文化、技の頂点を極めた工芸品。そして天下の名園、兼六園。街の中心に高い石垣が聳え、クラシックな建物が点在する。

 京都の雅に比べ、どこか無骨な、どっしりとした武家の文化に、高い美意識が混ざり合っている。この感じ、たまらなく好きだ。

 ニュース番組にも時々出てくる、兼六園の大きな池は、実際に見ると、ほうっとため息が出るほどの美しさだった。

 

 

2019年05月13日