瞑想について

瞑想について

 瞑想が流行しているそうです。現代は、ストレス生産社会です。不安をやわらげ、気持ちを落ち着かせる手段として、瞑想が注目されているようです。

 あの世の存在、Mと出会ってから、私と私の友人は、瞑想を習慣にするようになりました。Mが私達に瞑想を勧めたからです。

 瞑想は、自分の内部の直感と感性の部分に、自分自身を浸す行為です。理知の道と感性の道という、人間に備わったふたつのルートのうち、理知の道を閉ざし、感性の道を全開させる試みです。

 理知の道は物質世界を探求するためのルートで、直感、感性の道は、物質ではない、精神のみの世界、精神の宇宙や自己の魂に、ダイレクトにつながるルートです。瞑想を続けることで、直感、感性のルートはしだいに太く確かなものになり、精神の世界のさまざまなものとつながったり、自分自身の核であるところの自分の魂に触れたりするのです。

 瞑想をすると、心が落ち着いたり、自分自身を受け入れやすくなったりすると言われます。自分の魂、それはつまり、ありのままの自分です。                                  他人との競争や、能力を評価されることなどの気苦労を、しばし忘れ、「ありのままの自分」という、心の中の、柔らかな草の生えた牧草地に降り立つ。ふと見回すと、「自分」という牧草地は、草が青々と繁り、土壌も肥えている。「ここはなかなかいい場所だ」と思い、「ここから出発すればいい」と思う。       瞑想にはそのような効果があります。

 理知の道、それは脳を忙しく働かせる道です。学んだり究めたり、アイディアを構築したりといった、前向きな活動をしているときは、素晴らしい成果を生み出しますが、他人との比較ということに絶え間なくさらされている人間社会を生きていると、劣等感や自己嫌悪などの、自分で自分を貶め、傷つける意識が生まれてしまいます。                                             それにひきかえ、直感、感性の道には、「考える」「意識する」という働きは存在しません。ゆえに順位や勝ち負けや優劣を気にする意識は生まれず、自分を貶め、傷つける思いは湧きません。

 直感、感性のルートは、「本質を感じ取る」ルートです。自分が置かれているこの宇宙、地球の本質に触れ、感じる。まっすぐに「本質」とつながる。自分の核である、自分の魂に触れ、何ごとかをキャッチする。そういう働きを、直感、感性のルートはしています。

 私達が生きている宇宙の本質は、限りなく前向きで能動的なものです。動物や植物を観察していてもわかることですが、すべてのものは前へ進むようにできており、その前進のエネルギーは限りなく豊かなものです。人間も例外ではありません。

 瞑想によって理知の道を閉じ、感性の道を開くと、私達は、私達が置かれている宇宙の、豊かで力強い本質に触れることができます。さまざまなストレスで疲弊した心が、力とバランスを取り戻します。瞑想は精神に充電をする手段なのです。

瞑想の方法

 いろいろなやり方があるようですが、私がやっている方法はいたってシンプルです。姿勢はあぐら、正座、椅子に座る、仰向けに寝るなど、好きな姿勢で良いのですが、無理のない、楽な体勢を取ってください。体のどこかに窮屈さを感じていると、集中力が削がれてしまいます。

 姿勢が決まったら、お腹に空気を入れるイメージの、腹式呼吸を数回繰り返します。ゆっくりと深く息を吸い、3秒間くらい息を止め、お腹から空気を押し出すイメージで、お腹をへこませながら、ゆっくりと息を吐き出します。これを繰り返します。                                  息を吐くとき、頭の中の雑多な思いを、息といっしょに体の外に出すイメージを持つと良いでしょう。部屋の掃除をするように、頭と心から雑念を追い出し、クリーンにするというイメージを持ってください。

 深呼吸を終えたら、目を閉じ、きれいになった部屋の真ん中で瞑想をしているような気分で、意識を頭頂部に集中します。眉と眉の間に意識を集めるようにしてもいいでしょう。そして、頭の中をからっぽにする、何も考えないようにします。

 口で言うのは簡単ですが、「何も考えない」ということほど難しいものはありません。頭をからっぽにしようと思っても、次から次へと脳はさまざまなことを考えます。何かの考えに耽りそうになって、これではいけないと思い、まっさらな気持ちで頭のてっぺんに意識を集中しようとしても、頭頂部への意識から髪の毛のことや昨日買った帽子のことなど、さまざまな連想が湧きます。瞑想を試みると、脳というものがいかに活発に、絶え間なく動いているかということを、つくづく思い知らされます。

 しかし、そのような徒労とも思える試みを続けているうちに、ふっと何かが開けたように、雑念が消えて、心がなにか大きな世界とつながったような、そんな瞬間が訪れることがあります。自分の心が向き合っている世界は広大で深く、明るい力に満ちており、得も言われぬ幸福感に包まれることもあります。自分には無限の可能性があるという気持ちになることもあります。自分は豊かな土から生えている植物で、自分を育む大地は、自分に限りなくエネルギーを与えており、幸福を約束してくれる。そういう実感を持つのです。      ときには、何か大切なメッセージや助言のようなものを、感じ取ることもあります。悩みや不安を抱えているとき、そのメッセージは心の揺らぎを止め、力が湧いてきますし、今の自分にとって本当に大切なことは何かを示されることもあります。進むべき本筋から外れ、脇道に迷い出ているとき、本道に戻してくれる働きが、瞑想にはあります。