自然と人間 Ⅰ

 2020年が半分過ぎ、7月に入った。新型コロナウイルスの感染者数は、7月に入ってから急上昇し、軒並み100人を超えている。今までのところ、最多は131人だ。

 九州は梅雨前線の雨量が予想をはるかに超え、線状降水帯が発生して、同じ場所に大量の雨を降らせている。熊本では球磨川が氾濫し、堤防が決壊した。人家が2階まで水に浸かり、流された家もある。自動車は水に浮き、水が引いたあと、車が縦になったままだったり、重なり合ったりしている。浸水した老人ホームでは、お年寄りや職員が、顎まで水に浸かった状態で、4時間以上も救助を待ったそうだ。亡くなった人、行方不明の人が大勢いる。

 これは台風ではなく、梅雨前線だ。昔の梅雨と今の梅雨は、まるで様相が違う。

 毎年、極端な量の雨が降り、屋根を吹き飛ばすほどの突風が吹く。ここ10年くらいの間に、いろいろなタイプのウイルスが出現している。人間を脅かすこれらの現象の根はひとつで、人間の活動が自然のシステムを壊しているのだ。

 コロナは序の口で、今後、もっと深刻なパンデミックが起きると、学者は言う。

 人間がこれから先、無事に生き延びるためには、自然のメカニズムについて理解を深め、自分達の生活を、自然のシステムにうまく組み込んでいかなければならない。

 人類はこれまでずっと、人間は自然を支配できると考えてきた。自然というものを、よく知りもしないで、大なたをふるい、自然を切り刻んできた。山を切り崩し、森を潰し、海に土砂を入れ、大地をコンクリートやアスファルトで覆った。

 山と森と大地と海と空の関係、すべての自然が、無数の歯車の組み合わせで動いている巨大な機械のように、精密に連携して成り立っていることに、人間はまったく気付かなかった。一つの歯車を壊せば、それに連なる歯車は次々に、今までとは違う動き方をし、その連鎖が全体の動きを狂わせる。それが今直面している地球の自然の姿だ。

 自然を守ることは、文明が後退することと考える人がいる。昔のような自然を取り戻すには、明治時代や江戸時代のような暮らしに逆戻りするとイメージするようだ。たしかに、コロナ禍のために経済封鎖をしたら、都市の大気はきれいになった。工場を止め、車をなくしたら、自然は案外早くもとに戻るかもしれない。

 現在の生活を維持するには、自然を犠牲にしなければならない。しかし自然を犠牲にし続けた結果、人間がこの先生き延びるのが非常に難しくなるかもしれないというところまで、状態は悪化した。だからといって築き上げてきた文明を捨て、昔のスタイルに戻ることはできない。

 自然エネルギーの活用とか、少ない電力で最大の効果を上げる工夫とか、無駄な電力消費を見直すとか、本気で取り組めば、いろいろな方法が見つかるのではないだろうか。

 たとえば、都会の夜のネオンを一切やめたら、どのくらいの電力量が浮くのだろう。ネオンがなくなったら居酒屋やバーが潰れるから、これはまずいが、しかし夜の街にびっしりと輝くネオンを眺めると、これでいいのだろうかと思ってしまう。宇宙から地球の夜の部分を撮影した映像を見ると、間違った道を歩んでいるような気がしてくる。

 コロナのためにテレワークが始まり、在宅ワークが定着しつつある。テレワークが可能な人の中には、脱都会を考える人がいる。コロナははからずも、人々の働く意識を変えた。都市型の生活スタイルが減り、自然の豊かさを味わいつつ、仕事をする人が増えたら、現在の大都市の在り方が変わるだろう。東京は人口が減り、ネオン街もオフィスビルも減り、かわりに公園が増えるかもしれない。緑化が進めば、東京の空気も気候も変わる。

 コロナ対策が働き方の意識を変えたように、自然を守りながら経済活動を続ける方法を模索していったら、人々の意識が、また変わるかもしれない。人々の意識改革が起きれば、自然のシステムに沿った形で経済を回していくことができるのではないだろうか。どのみち、このように考え、進むしか、道はないのだ。今のまま行けば、地球の自然は狂い続け、やがて人が住めなくなるだろうから。

    

 

2020年07月06日