精神世界の扉

 目次  

  魂と精神世界

 私の友人に現れた、あの世の存在Mは、人間の起源について語りました。それはすでに述べましたが、もう一度おさらいすると、宇宙を創り出し、宇宙を動かしている巨大な精神体、私達が神と呼んでいるその精神体のエネルギーの大きなうねりの中から、人間の魂は生まれました。それら神のかけらと呼んでもいいような人間の魂は、ひどく不安定な存在であるために、肉体に宿り、地球で魂の修業をしています。

 Mが語るこれらのことは、あまりにも現実離れしているために、私の心になかなか染みてきませんでした。面白い物語でも聞くように、私はこれらのことを受けとめていたのだと思います。

 そもそもMが現れた当初、私は魂という言葉の非科学的な雰囲気ゆえに、魂の存在を認めようとしませんでした。魂の存在を証明できる学問はありません。あるかないかわからないものを、在るとむやみに信じるのは間違いだと思いました。

 その後、Mとの交流が深まるにつれて、私は、魂は存在を証明することはできないが、「在る」と納得するようになりました。しかしMが語るさまざまな事柄について、それらをまさしく現実のものだと受けとめることは、長い間できなかったのです。Mという存在そのものすら、私の中では現実感覚をともなっていなかったように思います。Mが存在することを疑いはしませんでしたが、どこか絵空事のような、夢の世界の出来事のような、そんな気分がまとわりついていたのです。

 Mが語ったこと、それを聞いて私が心の内部に築き上げていったもの、それらをまとめて世の人々に伝えることが、私の人生のテーマだと、Mは言いました。その言葉は私の心に刻印のように残り、このことに専念したわけではありませんが、試行錯誤の旅が始まりました。

 この試行錯誤の旅こそ、私にとって重要なプロセスだったように思います。心の中に湧き上がる思いや、まとまりつつある考えを、文章にしていく過程で、私の理解は一段階ずつ深まっていきました。理解が深まる、それは今まで絵空事のようだった事柄が、たしかな現実として感じられるようになったことです。

 人間は精神と肉体で成り立っています。その精神は、宇宙そのものであるところの、巨大な精神体から分離した、いわばその巨大な精神体の欠片のようなものであること、それはどうしようもなくアンバランスで不安定なものではあるが、その巨大な精神体と同質のものであること、頭では理解していたつもりのこのことを、実際にそうなのだと実感した瞬間の衝撃は、今でもはっきり覚えています。

 私は今、ごく現実的に、魂と精神世界を受けとめています。それは宗教でもオカルトでもなく、自然に存在しているものです。魂と精神世界は、わからない世界、実体がつかめない世界なので、人は、そういうものはないと存在を否定したり、さまざまな宗教のイメージを被せたり、不気味なオカルトのヴェールで覆ったりしているのです。

 魂と精神世界が、当たり前の現実として存在している世界だという認識を持ったときから、私の心の内部で、微妙にスイッチが切り替わったような気がします。どんな変化が起こりつつあるのか、それはまだあいまいで、不確かで、文章にまとめられるような段階ではありません。価値観が変わりつつあるようで、そのことにいささか戸惑っています。何か、明らかな変化が起きたり、考えがまとまったりしたときは、またこの続きを書くことにしましょう。

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  富士山

 私は17年間、富士山麓の富士吉田市に住み、陶芸の工房を開いていました。玄関を出れば、目の前に途方もなく大きな富士山が聳え立っています。春、夏、秋、冬、富士は季節ごとにその色合いを変え、得も言われぬ美しい姿を見せます。私が特に好きなのは、初夏の富士山です。山頂には雪が残り、樹木が茂る山腹は、澄み渡った大気を通して、紫がかった濃紺に染まっています。白と濃紺のコントラストに、見惚れてしまうのです。

 一年の大半を雪に閉ざされる富士山は、7月と8月の二ヶ月間だけ、山が開きます。除雪を終えて道路が開通し、山小屋が営業を始め、多くの観光客が押し寄せます。

 富士吉田でたいへんお世話になった人が、富士山五合目に山小屋を持っており、私は数年間、時々山小屋の手伝いをしていました。そこは日蓮宗の信者さんを泊める山小屋で、富士講と呼ばれる信者さんのグループが登山に来たときだけ、山小屋を開いていました。年に数回でしたが、富士山五合目で過ごした体験は、筆舌に尽くしがたい面白さ、素晴らしさがありました。夏の富士山の懐に飛び込み、山を味わい尽くしたと言ってもいいほどです。書きたいことは山ほどありますが、それを始めるとこのエッセイのテーマからずれてしまうので、別の機会に譲るとしましょう。

 ここで書きたいのは、山小屋の仕事の合間に体験した、不思議な時間のことです。ある日、山頂まで登る信者さん達を送り出したあと、私は一人で散策に出かけました。六合目から上は、赤茶けた溶岩の山肌が続くばかりですが、五合目までは植生が豊かで、いろいろな高山植物が生えています。色とりどりの花や、草木の甘い香りに囲まれて歩くのが、私は大好きでした。

 馴染みの道をいつものように歩いて、景色を眺めようと立ち止まったときのことです。私はふっと、妙な感じに襲われました。何か今までとは別種の感覚にはまった、陥ったと言ったほうがいいかもしれません。私はポカンとして、立ちつくしていました。すると、なんとも形容しがたい不思議な循環が、私の内部で起こり始めたのです。

 私の体は、あたかも一個の筒になったかのようでした。足はしっかり地面を踏んでいるのに、足の下に大きな空間ができ、何かのエネルギーの流れが、足の裏から入って体を上っていき、頭頂部から空へ抜けていきます。と、すぐさま新たなエネルギーが足裏から入り、体を突き抜けて、頭のてっぺんから空へ向かって出ていきます。そういうことが、何度も何度も繰り返されるのです。まるで私という一個の筒を、エネルギーが地から天へ、地から天へと、ぐるぐる、ぐるぐる循環しているかのようです。

 私はあっけにとられていましたが、心のどこかに、この感覚を味わうゆとりがあったように思います。少なくともこの循環の感覚は、不快ではありませんでした。大自然のエネルギーが、私の心と肉体をすみずみまで洗い清めてくれるような、そんなすがすがしさを感じていました。そしてこの感覚にしばらく浸っていたいとすら思ったのです。ところがそう思い始めたあたりから、この感覚は薄れていきました。そして、夢から覚めるように現実に戻ったのです。私は思わず、足元に目をやりました。雑草を踏みしめている、だいぶ年季の入ったトレッキングシューズが、目に入りました。地面は固く、当たり前ですが、地の下に空間などありません。目を転じれば、いつもと同じ富士山の景色が広がっています。

 いつまでもそこにいるわけにもいかないので、私は山小屋への道を戻り始めました。歩みを進めるにつれて、一足ごとにと言っていいほどに、たった今味わったあの感覚の記憶が薄れていきます。あの新鮮でエキサイティングな感覚の記憶は、現実に立ち戻った私の脳では、ありありと辿ることはできないのでした。

 それから数日の間、私は時折、この出来事を振り返り、意味を考えようとしましたが、答えは見つかりませんでした。この感覚の世界の出来事に、理性でどんな解釈を加えても誤った方向に進むような気がしたので、意味を解明することを諦めてしまいました。

 この出来事はしかし、単なる体験として、ここで終わったわけではありませんでした。それどころか、知らずしらずの間に、私の精神の根底に重大な影響を与えていたのです。私が自分の内部の変化に気付いたのは、この体験からひと月ほどたった頃だと思います。

 私の内部の変化をどう表現し、説明したらいいでしょう。それは今まで経験したことのない、そして言葉に表すのがとても難しいものでした。当時、自分の状態を私がどう感じていたかと言えば、富士山での不思議な体験を境に、自分の精神が根底から変わってしまった、というものでした。極端に言えば、今までの自分は霧のかなたに消えてしまい、新しい自分がここに残されている、という感覚でした。

 私は自分が、広い大きな河を渡ったように思いました。その河は向こう岸が見えないくらいに広く、流れはゆったりとしています。私は岸辺に佇み、はるかな向こう岸を眺めます。向こう岸には、富士山での体験以前の、私の人生があります。人生の日々を送るなかで出来上がっていった、私自身がいます。

 向こう岸に置いてきた私自身、そのなかの主なものは、競争意識によって培われたプライドとコンプレックスです。他人に負けたくない、少しでも上の順位でいたい、知的な人間だと思われたい、という意識、そして自分の不器用さ、弱さ、かっこ悪さを消し去りたいと思う、自己嫌悪の意識、自分は劣っているという意識……、そういったものが、人生の日々のなかで、私の心をかさぶたのように覆い尽くしていました。

 私は根本の部分で、自分に自信が持てませんでした。自信がないので、傷つきやすくなり、傷つくことを恐れて、本来の、ありのままの自分を隠そうとしました。                          

 自分を守るために、私は鎧を着けました。強がりを言い、知ったかぶりをし、馬鹿にされまいと肩肘を張る。そういう重い鎧で、心を覆っていました。鎧の下の柔らかい素肌を、他人はおろか、自分自身にすら見せまいとし、一人でいるときも鎧を、見せかけの自分という鎧を、着込んでいました。

 鎧の隙間から、素肌はちらちら見えていたはずです。その素肌こそ、私の個性であり、ときには人を惹きつけるもとになっていたかもしれないのに、私はそれに気づくことができませんでした。

 そうした自分を、富士山での出来事は、大河のかなたに追いやってしまったのです。私は生まれたてのような気分で、河のほとりに立っていました。心も体も軽く、しかし足は以前よりもしっかりと地面を踏みしめていました。                                               

 私は、私でいいのだ。ありのままの私でいいのだ。

 欠点も長所も、魅力も弱さも醜さも、すべてひっくるめて、私は自分を100パーセント肯定したのです。

 自分のすべてを受け入れるというのは、壮大な自己愛なのかもしれません。富士山での体験が、私の弱さや欠点を改善したわけではありません。私はあの体験が、私の人生を二つに分断したとすら思っています。河の向こう岸のそれまでの人生の記憶すら、薄れかかっているように感じるのです。しかしよく考えてみれば、私の性質、人格は、幼い頃から今に至るまで、何ひとつ変わってはいません。

 以前と同じ性質を抱えて、私は生きています。ただ、私の中の、以前は嫌いだった部分を、私は嫌いではなくなりました。その部分を磨いていけば、新しい可能性の道が拓けるのではないかと思っています。他人との関わりの中でマイナスになりそうな部分は、マイナスを起こさないように自己コントロールしようと思いますが、その欠点ゆえに自分を否定することはありません。私の中から、自己嫌悪、自己否定の意識は消えてしまいました。

 人生を生きていくなかで、さまざまな人との間に軋轢が生じ、その結果、劣等感に苛まれたり、自分を否定したくなることは、とても多いと思います。しかし人間は本来、自分という存在を否定してはいけないのです。自分というものを傷つけてもいけないし、嫌ってもいけないのです。厳密に言えば、自分というもののほんのひとかけらでも、嫌ったり傷つけたりしてはいけないのです。これは自然の法則、自然の摂理のようなものです。

 富士山を歩いていて、どうしてあのような体験をしたのかわかりませんが、私はあのとき、原点に立ち帰ったのだと思います。原点に戻り、自然と宇宙の本質に触れ、自身の軌道修正をしたのだと思います。


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 私の両親は、たぶん、無神論者でした。子供の頃、家族の会話の中に神や仏の名が出てきたことはなく、仏壇や神棚が家のどの場所にあったかさえ、記憶があいまいです。近所に住む祖母は、朝、仏壇に線香を上げ、長い間経を唱えるのが日課でしたが、祖父や叔父叔母たちはいたって現実的で、神仏の話はしませんでしたし、墓参にもあまり熱心ではなかったように思います。

 そんな環境に育った私は、亡くなった父の魂に高校生のときに出会うまで、あの世というものが存在するとは、夢にも思っていませんでした。死んだら、自分は消えてしまうと思っていました。幼い頃、親達が大地震で多くの人が亡くなった話をするのを、傍らで聞いていて、生まれてはじめて死について考え、自分が消滅することを思い、身悶えするほどの恐怖に取りつかれたのを覚えています。その恐怖を知って以来、少しでも死という考えが頭に湧くと、私は目も耳もふさいで怖いものから逃げようとする子供のように、必死で「死」を頭から追い出そうとしたのでした。

 小学6年のときに亡くなった父の魂に、高校生になってから出逢い、人間は死を迎えても、自身は消滅せず、永遠に存在するということを知りました。私は安堵し、それまで自分を縛りつけていた死の恐怖から解き放たれました。生と死は、肉体の生と死に過ぎず、自分の核になっている、精神とか魂とかいうものは、永遠に続くこと、肉体が生きていることも、肉体が死んで魂だけになることも、両方ともおそろしく重要で深いこと、父の魂はこうしたことを私に告げたのだと思います。

 私の友人に自動書記という現象が起き、あの世の存在、Mとの交流が始まってからは、あの世、精神世界についての知識が深まっていきました。宗教に馴染みがなく、むしろ違和感や抵抗感を強く感じていた私は、初めのうちはMの存在もその言葉を伝える友人の理性も疑い、Mの話を聞くことは、宗教の世界に引きずり込まれることのように思って、抵抗しましたが、論理的で現実感が漂うMの話を、しだいに信じるようになりました。

 友人の自動書記の中に、Mの、神についての説明があります。

「神とは始めもなく終わりもないもの。初めから存在し、永遠に存在し続けるもの。無であり、有であるもの。プラスであり、マイナスであり、その完全なバランスを保つもの。すべてを包括するもの。すなわち宇宙そのものが神の内に存在する。神とは大いなる宇宙そのものなのです」

 非常にわかりにくい説明ですが、神を語ると、それしか言葉はないとMは言いました。

 さらにもう少し具体的に、Mの説明は続きます。

 人間が今、これが宇宙だと認識しているものは、宇宙のごく一部分に過ぎないそうです。地球が属している太陽系、さらに銀河系、その他の星の集団。科学がめざましく進歩して、人間が宇宙の隅々まで飛び回ったとしても、そこで知りうる宇宙は、全体の一部でしかありません。それは言ってみれば、大宇宙を構成しているパーツ、ひとつのミニ宇宙なのだそうです。

 こうしたミニ宇宙がほかにいくつもあり、それらはたとえて言えば細い連絡通路のようなものでつながっていて、それぞれの宇宙が関連を持ちながら、バランスを保って動いています。それらの宇宙をすべて包み込み、動かしているのが大宇宙で、その大宇宙がいわば神の肉体であり、精神なのだそうです。

 宇宙空間に浮かぶ無数の星……。大宇宙にはそういう物質としての面と、意識と意思をもってそれらを総合し統括している、精神の面とがあるということです。私達人間が神と呼んでいる大宇宙そのものが、意識と意思をもって、その内部のあらゆる生命活動を行なっている、途方もなく巨大な生命体と言えるでしょう。

 人間の肉体は、胃、肺、心臓、肝臓、腎臓、腸……等々、さまざまな臓器と、それらに指令を出す脳、そしてそれらの部分をつなぐ血管と神経で成り立っています。これらの臓器の一つひとつが、大宇宙の中のミニ宇宙に相当し、血管と神経は、ミニ宇宙同士をつなぐ連絡通路のようなものに当たると、Mは言います。つまり人間の肉体は、大宇宙の構造を模しているわけです。人間だけでなく、哺乳類の基本の構造は同じですから、地球上の生物は大宇宙の構造を反映していると言えるでしょう。

 意識と意思を持った、途方もなく巨大な生命体であるところの、神。仮に神を人体にたとえれば、人間は人体の内部に棲む、一個のバクテリアかウイルスのような小ささでしょう。ひとつぶのバクテリアが、人体の全貌を知ることができないように、人間が神を理解することは不可能なのだと思われます。

 しかし、人間が神なる宇宙のエネルギーのうねりの中から生まれた、いわば神の極小の分身であること、人体の構造が、宇宙の構造を模してできていること、これらのことを思うと、はるかに遠い存在だった神が、急に身近なものに感じられもするのです。

 私が山梨で陶芸の工房を開いていた頃のことです。私は生涯忘れることのない、衝撃的な心の体験をしました。それは私の人生を二分したと言っていい、富士山での不思議な体験から数年後のことです。

 工房と住まいを兼ねたその家は、富士山の雪解け水を流すために作られた深い堀のきわに建っていました。家の脇には野生の藤が蔓を伸ばし、対岸は雑木林が細長く続いています。県立美術館での展示会が前日に終わり、私はとてもリラックスしていました。昼近くまで寝坊し、朝昼兼用の食事をし、コーヒーを淹れて窓の外をぼーっと眺めていました。

 ……と、その時、ふいに、目を疑うような驚くべき光景が広がったのです。いや、この表現は正確ではありません。私の肉眼には、窓の外のフェンスにからみつく植物や、その向こうの雑木林が映っているだけなのですから。

 私の瞳は、草木を眺めつつ、その奥に広がる別のものを見ていたのです。

 私が見ていたものを、言葉で言い表すことはほとんどできません。人間の言語の範疇にまったく当てはまらない、言語というものをはるかに超えてしまっているものだからです。しかしこんなことを書き連ねても埒があかないので、不正確ですが言葉にするとこんなふうになります。

 私の前に広がったもの、それはとてつもなく大きく、広く、無限の深さを持った世界でした。その深さは信じがたいほどで、その広がりは私の知覚を百倍も千倍も超えています。その世界は、限りない豊かさに満ちています。「限りない」という表現を、人はよく使いますが、本当に限りないとはこういうことを言うのだと驚嘆する「限りなさ」なのです。それは、物質、精神を問わず、存在する限りのあらゆる生き生きとしたものが、あとからあとから無限に湧いてくる豊かさなのです。

 それは、すみずみまで光に満ちた、純粋で透明な、そしてこのうえもなく貴重な世界なのです。このかけがえのない、信じられないくらい貴重な世界のなかに、私達人間は存在しています。この無限に豊かな、たとえようもなく貴重な世界の中に、ただ存在しているというだけで、それはもう途方もなくありがたいことなのです。この豊かで貴重な世界に存在していることそのものが、大きな幸運であり幸福なのです。たとえ人生が絶え間ない苦悩に包まれていようと、たとえその人が多くの人を傷つけたり、重大な犯罪を犯したりしていようと、ただこの世界に存在していることそのものが、かけがえのないことであり、誰も損なってはならない尊い価値を持っているのです。

 この途方もない、かけがえのない世界に生きていることの価値を、人間は自覚していないと、私はそのとき思いました。物凄い価値を、私達人間一人ひとりが持っていると思いました。私達はともすると自分を、他人を、とても乱暴に扱います。ないがしろにし、足蹴にし、粗末に扱います。それは本当はあまりにももったいないことなのです。極上の絹織物や最上級の料理を、どぶに投げ捨てる人はいないでしょう。自分を、他人を傷つけ、貶めることは、それと同じことなのです。

 この豊かで広大でとてつもなく深い世界に自分は生きていると実感したら、どんな心の病も治るのではないかと私は思いました。あまりにも大きな幸福に、人間は支えられています。それを知り、なおかつ自分を責め、劣等感や自己嫌悪の闇に呑み込まれることはありえないからです。

 私が見たものが何なのか、私は即座に答えることができません。私はこのとてつもない世界をくっきりと心に焼きつけましたが、この世界を名前で呼ぶことができません。人間社会の中に無数にころがっている言葉から、強いて当てはめるとすれば、それは「神」という名前でしょう。ただ、神という言葉にまとわりつく意味やイメージと、私が見た世界は、とてもかけ離れています。だから、私は即答することができません。ただ、それは、今までくどくどと書き連ねてきたような、本当にとてつもないスケールの豊かさを持った世界なのです。

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